黄色一色。ロシアの小都市、サランスクのスタジアムを、遠く南米からやってきたコロンビアファンが埋め尽くした。 4年前、ブラジルでも目にした光景だった。あの時は、隣国だからこれほど多くの人たちが集まったのだと思っていた。
サランスクで「小さな奇跡」が起こった。スタジアムで少数派だった日本人サポーターの喜びの声が、圧倒的多数派だった相手サポーターのため息を包み込んだ。1996年アトランタ五輪でブラジルを破った「マイアミの奇跡」を想起させた戦い。
日本がコロンビアを破った「小さな奇跡」に、元日本代表MFで、本紙評論家のラモス瑠偉さん(61)=ビーチサッカー日本代表監督=も大喜び。短期間で選手の長所をつかんで引き出し、大事な初戦でチームを勝利に導いた、西野朗監督(63)の手腕を高く評価した。
世界最高レベルのアタッカーを持つチーム同士の戦いは、より組織としての頑強さと柔軟性を持っていたセネガルに軍配が上がった。 ポーランドは最前線に構える大エースのレバンドフスキにボールを届けることを終始目指したが、前半は中央エリアを完全に遮断されてしまう。
最近、ついていない。サランスクの宿泊ホテルの風呂場で急にドアがロックされ、約10分間、タオル一丁のまま立ち往生した。どうにか鍵は開いたが、このまま取り残されるんじゃないかと内心焦った。
事前予想では厳しいとみられていた日本とセネガルがともに2−1で勝ち、H組は波乱含みのスタートとなった。日本の初戦は、全員がそれぞれの役割を忠実に果たした結果が表れた。采配を含め、文句の付けようがない出来だった。
大迫勇也は全国高校サッカー選手権で史上最多10ゴールを挙げて、その名をとどろかせた。準々決勝で対戦した滝川第二(兵庫)の選手が「大迫半端ないって」と号泣しながら連呼したのも伝説となった。
試合の入り方が、この試合のすべてを決めたと言ってもいい。5分もしないうちに相手が10人になり、先制点を奪った。 守備で前に行き過ぎず、いい角度を意識しながら、ボールを奪ったことが、あの退場シーンにつながった。
ムムム(タレントの川平慈英口調)−。軽い。体が…。事前合宿地の標高1200メートルのオーストリア、インスブルック郊外のゼーフェルトからカザンに入ってから3日後だったか。宿舎の庭にある鉄棒で懸垂をしたら、何と、5回もできた。国内では2〜3回。
インターナショナルレベルの選手たちに「論理性」を与え、全ての国際大会で結果を残してきたレーウ監督以降のドイツ。序盤から巧みなポジションチェンジを駆使し主に右サイドから敵陣深くまで侵入。
ひと言で言えば、スイスがよく頑張った。技術に優れるブラジルの選手たちに粘り強く対応した。ブラジルの右FWビリアンや左のネイマール、MFコウチーニョらドリブルで突破する選手たちを、中を固めながらうまくはね返した。
W杯初出場のアイスランドがアルゼンチンと互角に渡り合った試合を見ながら、1998年フランス大会での日本の「W杯デビュー戦」も相手がアルゼンチンだったことを思い出した。 日本のサッカーが長く「夢の舞台」と思っていたW杯。
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