6月22日

<カットイン 西川結城>本田がいた 雪辱の中心に

 黄色一色。ロシアの小都市、サランスクのスタジアムを、遠く南米からやってきたコロンビアファンが埋め尽くした。

 4年前、ブラジルでも目にした光景だった。あの時は、隣国だからこれほど多くの人たちが集まったのだと思っていた。ただ、彼らは距離の長短などお構いなく、ユーラシア大陸に大挙してやってきた。「雰囲気は敵地同然だった」。前回大会でコロンビアに屈した長友佑都も、再び圧力を感じていたという。

 ただ、眼前のピッチで繰り広げられた光景は、あの時と何もかもが違った。開始3分で相手に退場者が出るという、日本にとって願ってもない戦況に。劣勢の時間帯で同点弾を浴びながらも、後半に入り再び立て直す。慌てることなくボールをつなぎ、激しく敵と対峙(たいじ)した。

 そこに、前回対戦でもろくも崩れ去った日本の姿はなかった。「経験の勝利」と吉田麻也が胸を張る。「4年前のコロンビア戦、あれから時間が止まっていた。その針をもう一度動かすことができた」。川島永嗣も顔をほころばせる。

 そして、本田圭佑である。ブラジルW杯のときはチームの絶対的な存在だった。あのコロンビア戦では岡崎慎司の得点をアシストしている。この試合、本田はW杯で初めてベンチスタートを味わった。過去2大会のエースも、いまや自身の低調ぶりと周囲の突き上げで厳しい立場に追いやられている。

 大迫勇也の決勝点は、その本田の左足から生まれた。実は今年に入り、メキシコリーグでアシストを量産していた。ブラジルW杯後、「“一発”を決められる選手になる」と熱く語った男が、苦境で見せた意地の一振り。

 「ゴールという結果に絡んだ事実−。僕自身、そのためにピッチに立っている」

 興奮冷めやらぬスタジアムを後にする際、私の耳元でささやいていった一言。彼もまた、この痛快な雪辱戦の中心に、しっかり存在していた。 (スポーツジャーナリスト)

<にしかわ・ゆうき> 1981年生まれ。サッカー専門新聞「エルゴラッソ」でJ1名古屋やFC東京を担当。親交のある日本代表の本田や吉田の海外取材を重ね、雑誌「ナンバー」にも寄稿する。4月に「日本サッカー頂点への道」(さくら舎)を出版。名古屋市出身。

中日新聞 東京新聞

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