高木姉妹 初めて一緒に「金」 10年は妹、14年は姉

2018年2月22日

女子団体追い抜きで金メダルを獲得し、声援に手を振る高木菜那選手(左)と妹の美帆選手=21日、江陵で(田中久雄撮影)

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 【江陵(カンヌン)=原田遼】1メートルにも満たない距離で互いの呼吸を感じ取った。離れ離れだった2度の五輪を乗り越え、初めて一緒に立った舞台。21日に行われた平昌(ピョンチャン)冬季五輪のスピードスケート女子団体追い抜きで、高木菜那選手(25)=日本電産サンキョー、美帆選手(23)=日体大助手=の姉妹が抜群の連係で隊列を組み、金メダルをつかんだ。

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 北海道幕別町に生まれた2つ違いの姉妹。小学生のころは氷点下20度まで下がる屋外リンクで滑り、自宅に帰っては居間の隅っこで交代で筋力トレーニングをした。

 中学進学後、姉はレースで妹に負ける機会が増えていく。2010年バンクーバー五輪では妹が中学3年で代表に入り、「スーパー中学生」と脚光を浴びた。

 「むかついてましたよ」。姉は先を越された悔しさを今も忘れていない。たまたま自宅で留守番していた時、宅配便で妹宛てに日本選手団のスーツなど備品一式が届いた。当時、通っていた帯広南商高監督の東出俊一さん(61)にだけ「荷物を燃やしちゃおうかと思いました」と愚痴をこぼした。母美佐子さん(55)に遠征先から電話で「スケートをやめたい」と打ち明けたこともある。

 それでも踏みとどまったのは人一倍の負けん気。「妹が頑張っているんだと思って、もっと頑張った」。妹の活躍を猛練習の原動力にした。東出さんは「吐くまで練習していた。命懸けでやれる選手」。前回ソチ五輪では、妹を退けて代表をつかみとった。

 姉を見て「私はそんなガツガツしないでいい」とマイペースでソチを目指した妹。代表落ちして初めて「気持ちの差が結果に表れる」と姉のすごさを実感した。小さいころのように、再び姉の背中を追い掛けた。

 「前回、前々回と姉妹どちらかに気を使っていた両親に一つずつ金メダルをかけたい」と臨んだ姉。互いに認め合い、信じ合い、ハッピーエンドを完結させた。

中日新聞 東京新聞

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