羽生が2大会連続の金 宇野は銀メダル

2018年2月18日

メダル授与式で金メダルを手に笑顔の羽生結弦(左)と銀メダルの宇野昌磨=平昌で(潟沼義樹撮影)

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 羽生が、五輪史に新たにその名を刻んだ。江陵アイスアリーナで行われた男子ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23)=ANA=がフリーで2位の206・17点をマークし、合計317・85点で66年ぶりの2連覇を飾った。SP3位の宇野昌磨(20)=トヨタ自動車、中京大=は銀メダルを獲得した。田中刑事(23)=倉敷芸術科学大大学院=は18位だった。SP2位のハビエル・フェルナンデス(スペイン)が3位だった。

男子フリーの演技を終え雄たけびを上げる羽生結弦。ソチに続き2連覇を達成した=江陵で(田中久雄撮影)

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◆幾多の試練乗り越え…ユヅは神になった

 確信を持って右手の人さし指を突き上げた。その直後、大歓声に包まれながら右足首を両手で触れた。日本選手団の今大会金メダル第1号は、フィギュアスケート男子では66年ぶりの連覇達成。羽生が誰にも描けないようなシナリオで、歴史に残るヒーローになった。

 「勝ったと思った。ソチ五輪のときは勝てるかなという不安しかなかったけど、今回は自分に勝てたと思った。とにかく右脚が頑張ってくれた。(右足首をさわったのは)感謝の気持ちだった」

 朝の練習前、4回転ジャンプはループを回避してサルコー2本、トーループ2本に決めた。「自分で決めました。(ループを)跳びたい跳びたくないという前に勝ちたいだった。勝たないと意味がないと。これからの人生でずっとつきまとう結果。大事にいった」。完成度重視のフリーは冒頭の4回転サルコーを決め、後半最初の4回転サルコーからの連続ジャンプを決めたまではよかったが、4回転トーループは単発になり、3回転ルッツも乱れた。浮き彫りになったスタミナ不足。だが、転倒することなく今季のフリー曲「SEIMEI」を演じきった。

 五輪はやはり、無謀な挑戦だった。試合後、3月の世界選手権について聞かれると欠場を示唆した。「右脚のけがはよくなくて、かなり無理をさせた。跳べないジャンプ、できないエレメンツを試合で入れていた」。昨年11月のNHK杯直前に転倒した。当初は右足首の靱帯(じんたい)損傷の診断だったが、実は右膝も痛めていた。「本当にここまで来るのが大変だった」。だから金メダルが決まった瞬間、カメラの前でも涙があふれた。

 衝突事故、腹部手術に左足甲リスフラン靱帯損傷、そして右足首の靱帯と骨の損傷。これらすべてソチ五輪後のアクシデントだ。けがとの戦いだった4年間、心が折れなかった理由は「あの体験」にある。

 「あれ以上苦しいことも悲しいこともない。割とつらいときでも乗り越えられるきっかけになるんですよ」。地元・仙台で被災した2011年の東日本大震災。ただ、ただ苦しく、悲しかった。その一方で、人の優しさに救われた思い出でもあった。今回の苦難もたくさんの人に支えられ、助けられて強くなった。

 「漫画の主人公だとしても出来すぎなくらい設定がいろいろあって。でも、こうやって金メダルを取れた。こんなに幸せなことはない。でも、人間としての人生として考えたら何か変だなって思う」

 かつての宣言通り、劇的に勝った王者は史上初の3連覇に向けては言葉を濁しながら、現役続行には「もうちょっと滑ると思うけど、みんなと一緒に滑りながら、いろいろ考えていけたらいい」と、意欲を見せた。確かにけがが増えていく中、27歳で迎える4年後は厳しいかもしれない。だが、こんなヒーローを、もっともっと見ていたい。 (兼田康次)

順位が決まり感激する樋口コーチ(右)と冷静な宇野(共同)

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◆冒頭4ループ転倒「笑えましたね」

 キョトンとした表情がいかにも宇野らしかった。最終滑走でのキス・アンド・クライ、銀メダルが確定した瞬間、樋口美穂子コーチが涙を流して抱きついてきた。一方ではにかむばかりの宇野…。何とも対照的な光景は、試合後も変わらなかった。

 「樋口先生がこれまでで一番喜んでいたのはうれしかったけど、僕にとって五輪の銀メダルと他の銀メダルの違いを感じなかった。最後まで特別なものを感じなかった」

 どこまでも冷静だった。最終滑走は「嫌でした」と言うが、他選手の演技はしっかりチェック。「点数的に考えれば完璧なら1位になる計算をしていた」。確かに自己ベスト(214・97点)と同じでも金メダルだったが、冒頭の4回転ループで転倒してジ・エンド。「笑えましたね。でもそこから集中した」。失敗が続けばメダルすら逃したところで踏ん張った。

 名古屋市内にある自宅マンションが幼少時のトレーニング場だった。5歳のときに浅田真央さんに誘われて始めたフィギュアスケート。父・宏樹さんが勧めたのは階段ダッシュだった。小学生時代は自宅がある9階まで昇り降りの日々。体のサイズは小さいままだったが下半身と持久力は強化された。トリプルアクセルの習得に苦戦する時代はあったが、4回転ジャンパーとしての基礎を築いていった。

 「何とか表彰台に立たせたいと思っていた。(銀メダルに)昌磨はキョトンとして反応がなかったけど。しっかり練習してきたからこそ、あそこまでできたかな」と話した樋口コーチによると、あえて五輪を意識させないようにした様子。伊藤みどりや浅田真央らを輩出しているグランプリ東海ク出身のメダル獲得はこれで3人目。いずれも銀メダルというのも何かの縁か…。

 「最後まで満足いく演技ができた」という宇野は4年後の北京五輪に向けて「先のことは考えない」と言うと、今大会を振り返って「日本にいるときよりもゲームができている。演技も生活もずっとぐうたら生活で楽しかった」。どこまでも自然体だった20歳が、日本の冬季五輪史上46年ぶりのワンツーフィニッシュを実現させた。 (兼田康次)

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