宇野、回り回って大技取得

2018年2月16日

フィギュア男子SPを控え、公式練習で笑顔を見せる宇野昌磨選手。後方は樋口美穂子コーチ=16日、江陵で(田中久雄撮影)

写真

2011年3月、名古屋で行われた大会で演技する宇野選手

写真

 【江陵(カンヌン)=原田遼】誰よりもリンクで転んできた。初めてスケート靴を履いた日は転んで顔を氷に強打し、十分で帰宅した。平昌(ピョンチャン)冬季五輪で十六日、ショートプログラム(SP)の競技に臨む宇野昌磨選手(20)。五輪の舞台にたどりつくまでに、大きな挫折があった。

 生まれたときは父親の手のひらに体が収まる未熟児。掛け布団はハンカチだった。ぜんそくで、幼少期は入退院を繰り返した。体を強くしようと、両親はサッカーやテニス、バレエなどいろいろなスポーツをやらせてみた。サッカーでは競り合いが怖くて、ずっとゴールの裏に隠れていた。

 スケートだけは、なぜだか「もう一度滑りたい」と両親にねだった。五歳で名古屋・大須でスケート教室に入ると、一日五〜六時間の猛練習を続けた。小学生時代に全国優勝を重ね、「天才少年」と騒がれた。

 だが早々に壁にぶち当たった。中学一年から練習を始めたトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)がどうしても跳べない。一日百回以上、練習の一コマ一時間をすべてトリプルアクセルにささげても、転んでばかり。「周りの人がどんどん跳んでいき、つらかった」。気づけば高校生。樋口美穂子コーチが「自暴自棄になってしまうのでは」と心配するほどだった。

 高校二年の秋、先輩の助言で先に4回転トーループの練習を始めると、何と数週間で成功。回転の感覚を体が覚え、どうしても跳べなかったトリプルアクセルもその冬に試合で決めた。

 挫折から得たのは「意味のない努力、考えのない努力は身にならない」という教訓。その後は一つのジャンプに固執せず、次々と新しいジャンプに挑戦した。二〇一六年春には4回転では二番目に難易度の高いフリップを世界で初めて成功。当初は成功率が低かったが、次第に安定感が増した。

 十六日、直前練習では時折、ほほ笑みすらたたえ、4回転トーループなどを跳んだ。

 「つらい経験をしたから、ほかのことはやわく(容易に)感じる」と話す宇野選手。五輪といえど恐れることはない。転んだ数だけ階段を上り、一番上を目指す。

中日新聞 東京新聞

※ご利用のブラウザのバージョンが古い場合、ページ等が正常に表示されない場合がございます。

Search | 検索