本場で修行、小平進化

2018年2月15日

スピードスケート女子1000メートルで銀メダルを獲得した小平奈緒選手(左)と銅メダルの高木美帆選手=14日、江陵で(共同)

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 自分の弱さに向き合った2人が、最高の舞台で輝きを放った。スピードスケート女子1000メートルで、小平奈緒選手(31)=相沢病院、長野県茅野市出身=が銀、1500メートル銀の高木美帆選手(23)=日体大助手=が銅メダル。異国での武者修行や周囲の支えで心と体を鍛え、表彰台にたどり着いた。

 天を仰いで、目を閉じた。小平選手は無念の思いをかみしめるように両手をひざについた。

 「個人種目では初めてのメダルでとてもうれしい」と笑顔を見せつつも、「家族や友人も私と同じで、ちょっと悔しかったり、うれしかったりを共有してくれているのでは」。金メダルへの期待を知るだけに、複雑な心情が入り交じった。

 二〇一四年ソチ五輪は500メートル五位、1000メートル十三位。欧米選手に勝つために単身でスピード大国オランダに渡った。

 ホームステイ先は、牛舎を改装した家屋の屋根裏部屋。牧草地にぽつんとあり「まるでアルプスの少女ハイジの家」。コメを買うのに車で片道一時間をかけ、病院でけがの治療を受けるのに待合室で二、三時間待たされた。トレーナーもおらず、寒さ厳しい冬は、湯を張ったバケツに脚を入れ、体を温めた。インターネットで調べてテーピングの巻き方も覚えた。「オランダ人の思考の深くまで知りたい」と英語ではなく、オランダ語を勉強。「三回同じ言葉を聞いたら絶対に覚える」と書き出した単語ノートは五冊に及んだ。

 ストレスは絶えなかったが、オランダの理論は新鮮だった。指導を受けた一九九八年長野五輪の金メダリスト、マリアンヌ・ティメルコーチに「なんで頭を下げるんだ」と聞かれた。日本流のあいさつは他国から見ると、弱気に見える。「リンクに入ったら自分がボス」と立ち振る舞いから意識を変えられた。「怒った猫のように肩を上げろ」とフォームを教わり、腰高になる悪癖も改善された。

 「(蘭(らん)学者の)杉田玄白は翻訳機もない時代に解体新書をつくった。すごいですよね」。自身の「解体新書」を書き上げるように二季をすごしたオランダ。一六年春、地元長野に帰って言った。「小平奈緒が新しく生まれるといい」。思い描いた進化を雪辱の舞台で示した。

 (江陵(カンヌン)・原田遼)

◆弱さと向き合い銀・銅つかむ

 逆境に勝った。平昌五輪1500メートル銀メダルの激闘から中一日。ダメージに耐えて銅メダルの高木選手は「この体で想定していた以上のレースができた。1500以上に自分を褒めてあげたい」。冬季五輪の日本女子では史上初となる同一大会での複数メダルは誇れるものだった。

 高木選手の躍進が始まった二年前だった。報道陣に体重を聞かれた。女性には失礼な質問かもしれないが、「五七(キロ)くらいです」と自然と答えた。「昔は体重を人に言えなかったのにな」。アスリートとしての心が芽生えていた。

 「勘違いしていましたね」。十五歳で出場した二〇一〇年バンクーバー五輪。二種目で最高二十三位だったが、あこがれの選手たちと同じ舞台に立てるだけでうれしかった。

 高校に進学し、すでに定着していた日本代表の合宿で、同五輪銀メダリストの長島圭一郎選手に会うなり、「丸いね」とつぶやかれた。食べ盛りの高校生。菓子や揚げ物に目がない。「食べるのをやめるのもストレスになる」と言い訳していた。

 甘かった…。母親に頼み、弁当から揚げ物を外してもらった。甘いものも我慢した。前回のソチ五輪は調子を崩して代表落ちを味わったが、節制は続けた。

 昨年春から一人暮らしを始めた。食事は自炊。低カロリー、高タンパクのものばかりで、貧血気味の体質の改善にも努める。「ひき肉たっぷりのコロッケとか食べたい!」と思うこともあるが、「メダルにつながる道」と思えば耐えられる。「長島さんがアスリートの心構えを教えてくれた」と感謝する。

 体重はバンクーバー当時と変わらないが、ほおはそげ落ち、筋肉は隆起した。1500メートルで銀メダルを手にした後、「今までずっといろんな方に支えていただいて、いろんなものがこみ上げてくる」と語っていた高木選手。甘さと向き合い、乗り越えて才能を開花させた。

 (原田遼)

中日新聞 東京新聞

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