高木美「銀」 悲願の表彰台 挫折を経て勝負師に

2018年2月13日

女子1500メートルで銀メダルを獲得し、泣きながらコーチの元に寄る高木美帆選手=12日、江陵で(共同)

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 【平昌(ピョンチャン)=本社五輪取材団】平昌冬季五輪は12日、日本勢のメダルラッシュに沸いた。スピードスケート女子1500メートルで銀メダルの高木美帆選手(23)=日体大助手=と、ノルディックスキー・ジャンプ女子ノーマルヒルで銅メダルの高梨沙羅選手(21)=クラレ=は、ともに過去の大会の挫折を乗り越え、うれし涙をこぼした。一方、フリースタイルスキー男子モーグルの新星、原大智(だいち)選手(20)=日大=は、体いっぱいで銅メダルの喜びを表現した。

 挫折を経て勝負師に生まれ変わった高木美帆選手が、レース後のインタビューに誇らしげに語った。「ここまで来ることができた自分に自信を持っていきたい」。スケート大国オランダのコーチから学び、アジアの選手が長く苦手としてきた中長距離で悲願の表彰台に立った。

 涙は世界一を目指した証しだった。最終走者でゴール後、「2位」の表示を確認すると、天を見上げた。「メダルを取れたうれしさはあったが、もうちょっといけたんじゃないか」。駆け寄ったヨハン・デビット・ヘッドコーチに「誇りに思う」とたたえられると、胸に頭をうずめて泣きじゃくった。

 15歳で2010年のバンクーバー五輪に出場した「スーパー中学生」は、その後、くすぶり続けた。重心を左右の足に移動させながら氷に力を伝える感覚は天下一品。一方で、北海道の帯広南商高時代に指導した東出俊一さん(61)は「レースに勝つことより、こつこつ練習して自分の課題をクリアしていくことに価値を見いだすタイプだった」と振り返る。

 職人肌の気質が、勝負の世界で勝ちきれない要因ともなっていた。周囲の成長に気づかず、「このままで大丈夫」と臨んだ前回ソチ五輪シーズンは、選考会で沈んだ。「五輪にすべてを懸ける勇気と覚悟がなかった」と振り返る。

 眠った才能を呼び起こしたのは、15年に就任したナショナルチームのデビット・コーチだった。科学的な数字データを指標にするオランダ人コーチは、疲れが出ると上体がぶれる高木選手の悪癖を指摘。全体練習とは別に週4回の体幹トレーニングを課した。

 精神面でも影響を与えた。16年の国際大会。世界的スターのイレイン・ブスト(オランダ)のレースをあこがれのまなざしで見ていると「同じ人間なのに、なぜ自分もできると思わない」。高木選手は「本当に不思議そうな顔で聞いてきたので、すごく心に残った」。

 自分の滑りだけを追い求めていた少女は、勝利に少しずつ貪欲になり、ついに銀メダルをつかんだ。

 かつて「かなわない相手」と思っていたブスト選手に0秒20及ばなかったが、ソチで表彰台を独占したオランダの一角を崩した。「食い込んだことより、金メダルが欲しかった」。無念の思いを抱えつつも、顔はさわやかだった。 (江陵・原田遼)

中日新聞 東京新聞

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