バンクーバーから8年… 美帆、涙の「銀」

2018年2月13日

スピードスケート女子1500メートルで銀メダルを獲得し歓声に応える高木美帆=江陵で(田中久雄撮影)

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 美帆つかんだ! 金に肉薄の銀メダル−。スピードスケートは12日、江陵オーバルで女子1500メートルが行われ、高木美帆(23)=日体大助手=が1分54秒55で銀メダルを獲得した。この種目での日本勢のメダルは、1992年アルベールビル五輪銅の橋本聖子以来。イレイン・ブスト(オランダ)が1分54秒35で優勝した。 

◆悔しさ 五輪で返す

 涙の銀メダルだった。中長距離のエース・高木美が、大本命の1500メートルで2位に食い込んだ。同走となった世界記録保持者のベルフスマ(米国)との争いを制し、タイムを確認すると、静かに目を閉じた。

 五輪との“お付き合い”は8年前から始まった。スーパー中学生として立った2010年バンクーバー五輪。スピードスケート史上最年少の15歳の代表として注目を集めたが、本番では1500メートルで23位、1000メートルでは完走した35選手中最下位だった。悔しさを感じながらも、何が何だか分からないまま大会は終わった。

 その4年後、借りを返したいと思いつつ、落ちることはないだろうと思いながら挑んだソチ五輪の選考会。振るわず、夢の舞台に戻ることすらかなわないまま“2度目の五輪”は幕を閉じた。ソチ五輪は長野市内のホテルや地元のパブリックビューイングで観戦。複雑だった。「8年前や4年前の悔しさは五輪の結果でしか晴らせない」。ここで勝つ自分だけをイメージして、厳しいトレーニングに耐え続けてきた。

ゴール後、泣きながらコーチの元に寄る高木(共同)

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 特別に思うがゆえに、五輪を意識するのが怖くもなった。口にするのも、自然と避けた。夏場には既に「ちょっとのことで、このまま痛みが長引いたらどうしようって思う」。普段は感じないわずかな違和感ですら、不安へと変わった。

 ただ、そんな弱い自分と向き合うことからも逃げなかった。代表選考会後、代表に内定してやっと力強く語った。「目の前に五輪が迫ってきて、やっと特別に思う覚悟ができた」。

 高木美にしか歩めなかったこの8年間の道のり。まず手にした1つめのメダルは、その道が間違っていなかったことの証明だ。冬季五輪のスケート陣で1大会複数メダルを獲得したのは1998年長野五輪の清水宏保の2個(500メートル金、1000メートル銅)のみ。女子初の快挙を信じ、ここから先は新たな道を切り開く。 (國島紗希)

<こんな人 こんな話>今食べたいのは「男爵コロッケ」

 五輪に出た選手として青春時代を過ごした美帆。それでも当時は年ごろの女の子らしく甘いものが大好きだった。姉の菜那も「美帆はチョコレートとか甘いものが好き」と証言。しかし、今はほとんど口にしないという。その裏には、心に刺さるある一言があった。

 「太くない?」

 まだ高校生のころ、バンクーバー五輪銀メダリストの長島圭一郎さんから何の気なしに言われた。「甘いものをやめるのもストレスかなって思っていたけど、それから変わらなきゃと思って」

 甘いものはもちろん、母に頼んで弁当の揚げ物までやめた。乙女心はズタズタにされたが「自分にとっては感謝の一言です」と美帆。ちなみに、最近食べたいのは甘いものではなく「ホクホクの男爵コロッケ」だそうだ。 (スケート担当・國島紗希)

 ▼高木美帆(たかぎ・みほ) 1994(平成6)年5月22日生まれ、北海道幕別町出身の23歳。164センチ、58キロ。北海道・帯広南商高、日体大出。日体大助手。札内中3年で2010年バンクーバー五輪に出場。1500メートル、3000メートルの日本記録保持者。1500メートルを中心にW杯個人種目で通算7勝。今大会は女子3000メートル5位だった。姉の菜那も日本代表で、ともに団体追い抜きの主力。

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