成長した姿、心待ちに 木原選手

2018年2月8日

東海市中央図書館には、木原選手の写真とともに冬季スポーツの関連書籍などを集めたコーナーが設けられた=愛知県東海市中央町で

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木原龍一選手

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 九日開幕する平昌(ピョンチャン)冬季五輪。フィギュアスケートのペアで前回のソチに続いて出場する愛知県東海市出身の木原龍一選手(25)にとって、四年間で磨き続けた技、成長した自分自身をぶつける舞台となる。幼いころ、スケートへの導き手となった母鈴江さん(56)は「自分をしっかり持って臨んでほしい」とエールを送る。

 「目を離すと、すぐにどこかへ行ってしまう。やんちゃな子でした」と鈴江さんは振り返る。四歳のころ、有り余る元気を発散させようと、体操やスイミング、英語の教室に入れてみた。どれも退屈そうだった。

 ところが、名古屋市南区にあったスケートリンクに連れて行き、スケート靴を履かせると、すぐに氷の上を走り始めた。「合っているのかも」と直感。リンクで開かれていたスケート教室に入れた。

 リンクの中心には、華麗にスピンやジャンプを決めている女子選手がいた。後に世界の舞台で活躍する鈴木明子さんだった。教えていた荻野正子コーチに指導を頼むと「試しにいらっしゃい」と受け入れてもらった。

 荻野さんが投げる木片を拾ってきたり、鬼ごっこをしたり。八学年上の鈴木さんも弟のようにかわいがってくれた。「いきいきして、楽しそう」と鈴江さんはうれしくなった。東海市名和中二年生のころまで、荻野さんの下で教わった。

 その後、名古屋市港区のスケートクラブに移り、荒川静香さんら多くの選手を育てた長久保裕コーチらに師事。シングルの選手として体力をつけ、ジャンプを磨いていくと、中京大中京高校時代に才能が開花した。高校総体で優勝、全日本ジュニア選手権で二位と実績を上げた。

 中京大に進むと、大きな転機が訪れた。指導者たちからペアへの転向を勧められた。「声が掛かったのは可能性があるからよ」。鈴江さんは、こう助言したのを覚えている。悩み抜いた末に転向を決断。ソチ五輪の一年ほど前のことだった。

 すぐに指導者のいる米国デトロイトへ赴き練習を始めた。だが、ペアで出場したソチでは、トップ選手との力の差は歴然。ショートプログラムが十八位で、上位十六組によるフリーに進めなかった。

 大学卒業後も一年の大半をデトロイトで過ごし、練習に明け暮れる。自炊を続け、練習には鶏の胸肉をご飯にのせた弁当を持って出掛けていく。

 ソチ後の新たなパートナーは、中京大中京高校三年の須崎海羽(みう)選手。鈴江さんは感慨深く言う。「今では須崎さんを引っ張っている。大人になったんだなと思う。競技でも、生活の面でも力強くなった」。たくましく成長した姿が、五輪の舞台で舞うのを心待ちにする。

 木原、須崎両選手ペアは、九日に団体戦のショートプログラムに臨む。東海市芸術劇場で、午前十一時半〜午後一時半にパブリックビューイングが予定されている。

 (稲垣時太郎)

中日新聞 東京新聞

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