「杏と桃」共に実る アルペン8位の本堂 村岡と支え合い成長

2018年3月19日

女子回転立位で8位に入賞した本堂杏実選手の2回目の滑走。左手にはバランスをとるための器具をつけている=18日、平昌で(共同)

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 10日間にわたる障害者スポーツの祭典が終わった。18日、平昌(ピョンチャン)冬季パラリンピックの閉会式に集った選手、観客たちは障害の有無を超えてスポーツが与える感動、人の持つ可能性の大きさを分かち合った。メダル10個と躍動した日本人選手たちの笑顔の大輪が、春の訪れを告げた。 

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 【平昌=神谷円香】共に咲いた、杏(あんず)と桃−。平昌冬季パラリンピック最終日の18日、アルペンスキー女子立位の本堂杏実(あんみ)選手(21)=日本体育大=が、最終種目の回転で初の8位入賞を果たした。スキーを始めてまだ2年。「つらいことも乗り越えていけば、桃佳みたいになれるかな」。新たに挑戦した世界で一番近くで支え合ってきたのは、同い年の村岡桃佳選手だった。

 「自分の中では攻め切れた」。レースを終えた本堂選手がにっこり笑った。初戦の11日のスーパー大回転は途中棄権し悔し涙。村岡選手は「自分も初出場のスーパー大回転はだめだった」と励ました。14日、村岡選手が金メダルに輝くと、今度は本堂選手がうれし涙で顔をぐしゃぐしゃにして駆け寄り、2人で泣いた。

 迎えた最終戦。「後はやるだけ、攻めていこう」と誓い合った。先に滑った本堂選手が入賞を決めた。村岡選手は2本目で転倒するも、「私で始まり、私で終わる大会。このまま終われない」とすぐに再スタートを切り、意地の銀メダル。そろって有終の美を飾った。

 本堂選手は生まれつき左手の五指がない障害をものともせず、大学1年まで健常者のラグビーで活躍。2016年に大学側から「パラリンピックを目指さないか」と打診され、選んだのがスキーだった。その年の秋に日本代表の遠征に加わり、村岡選手と出会った。

 本堂選手は所沢市、村岡選手は深谷市と同じ埼玉県出身。合宿も同部屋で一緒に過ごす時間が長くなり、すぐに仲良くなった。慎重派の村岡選手に対し、本堂選手は負けず嫌いの強気な性格。志渡一志(しどかずし)ヘッドコーチ(49)は「足して割ればちょうどいい」と笑う。

 早大スキー部で寮生活する村岡選手だが、冬は部員それぞれの大会があり仲間とは離れ離れ。本堂選手の存在を「互いに高め合えるパートナー。遠征も一層楽しくなった」と語る。

 本堂選手にとっても、「世界女王」となった村岡選手の活躍は喜びと同時に、大きな刺激になった。「生でメダルを見て、自分もいつか取ってやりたいと思った。もっともっと上に上がれる」。次の舞台へと、2人の物語は続いていく。

2月に長野・菅平高原スキー場で開かれた国内大会の会場で談笑する本堂杏実選手(右)と村岡桃佳選手

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中日新聞 東京新聞

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