勤務先が再挑戦後押し スノボ入賞の小栗選手

2018年3月18日

男子バンクドスラローム大腿障害で滑走する小栗選手(共同)=平昌で

写真

 「社長、社員に助けてもらい、パラリンピックに来られた」。スノーボードバンクドスラロームで十六日に六位入賞した小栗大地選手(37)=名東区。今大会、メダルに手は届かなかったが、自身の再挑戦を支えてくれた勤務先の人たちに感謝の思いを口にした。

 小学五年生でスノーボードを始め、毎シーズン雪山を訪れた。大学卒業後にプロ選手として登録し、アルバイトをしながら日本代表を目指したものの壁は厚かった。三十歳を前に見切りを付けて就職した。

 天白区の板金加工会社「三進化学工業」で働きながら、冬の休日はスノーボードを教える生活をしていた。二〇一三年八月、作業中に台車に積んだ重さ数トンの板金が崩れ落ちた。右足が下敷きになり、その場で大腿(だいたい)部を切断された。

 不思議と冷静だった。「脚がなくても義足で普段の生活はなんとかなる。義足のスノーボーダーとして初心者に戻れる機会。もう一度、世界を目指そう」。二カ月に及ぶ入院期間中に決意した。

 三進化学工業の近藤伸泰(のぶやす)社長(49)も「あいつの一生を背負う」と決心した。二十二歳で父から会社を継ぎ、社員は家族同然。事故の責任を感じただけではなく、「前向きに頑張る姿を見たい」と思った。

 遠征は出勤扱いにし、掛かる費用も、「いちいち言わずに使え」と専用のクレジットカードを渡した。

 仕事面でも、小栗選手に「自分は障害があるから」と思わせたくなかった。事故前は現場担当だったが義足では難しい。入院中にパソコンを渡し、設計の仕事を覚えさせた。

 七位入賞した十二日のスノーボードクロスは、二十人の応援団で観戦した。近藤社長が周りに声を掛けると、取引先からも「応援に行きたい」と声が上がった。世界で戦う姿を目の前で見るのは初めて。会場の熱気、迫力に「こんな舞台で戦ってるとは、すごいと思った」と近藤社長。片脚になってまた競技を目指す姿勢を「強いな」と尊敬する。力を尽くした滑りに、惜しみない拍手を送った。

 (平昌・神谷円香)

12日、小栗選手を観客席から応援する近藤社長=平昌で、神谷円香撮影

写真
中日新聞 東京新聞

※ご利用のブラウザのバージョンが古い場合、ページ等が正常に表示されない場合がございます。

Search | 検索