忘れていた脚、武器に アルペン立位・三沢選手

2018年3月15日

「がむしゃらなだけでは駄目だった」と振り返る三沢選手=2月19日、長野県上田市で

写真

 平昌(ピョンチャン)パラリンピックアルペンスキー男子立位で松本市出身の三沢拓選手(30)=SMBC日興証券=は、四回目のパラ出場。四年前のソチ大会は二種目で九位となり、初めて入賞を逃した。トレーニング法を見直し、着目したのが、切断して付け根から二十センチほどになった左脚だ。「片足なのが俺」と突っ走ってきた競技姿勢を見直しバランスを強化した。今大会は苦戦が続くが、残る回転での健闘が期待されている。

 三沢選手は六歳の時、交通事故で左脚を切断。「自転車に乗れるかな」とつぶやく三沢選手に母昌子さん(63)は「乗れるよ。何でもできるよ」と応じた。

 母の期待通り自転車や野球など、いろんなことに挑戦した。スキーの腕を磨くため、高校時代はニュージーランドに留学。初めて出場した二〇〇六年のトリノ大会の回転で5位入賞し、続くバンクーバー大会もスーパー複合で6位入賞を果たした。

 コーチらは「左脚も意識して滑りに生かそう」と助言したが、三沢選手は「(左脚)はこれしか残っていない。意識して何が変わるのか」と疑い、聞き入れなかった。

 がむしゃらに筋力トレーニングや雪上練習を続けたが、ソチ大会は自己最悪の結果。「何をやっているんだ。現状を変えなければ」。都内のトレーニングジムに通い、指導を受け左脚も鍛え始めた。

 「ぶら下がっているだけ」だった左脚。右脚だけでバランスを取り、重心も右側に偏った。筋トレで鍛えた左脚を上げ、右脚と同じ角度に保つことで重心は中心に寄り、ターンで体を傾けた際の安定性が増した。「自分の体を学び、正しく鍛えた。がむしゃらなだけでは駄目だった」と振り返る。

 昨年十二月、欧州での試合中に転倒。左大腿(だいたい)骨を骨折した。筋トレを続け、復帰直後の二月のジャパンパラアルペンスキー大会で大回転を制した。

 今大会は滑降とスーパー大回転が15位、スーパー複合が12位にとどまった。十四日の大回転は途中棄権だった。

 「俺の短い左脚でも、意識して動かせばパワーを出せた。こんな可能性に気付けばもっと動け、障害者スポーツの競技力はもっと上がる」。メダルを取って結果を出し、障害者の可能性を示そうと思っている。

 (渡辺陽太郎)

中日新聞 東京新聞

※ご利用のブラウザのバージョンが古い場合、ページ等が正常に表示されない場合がございます。

Search | 検索