メダル取り、選手増やしたい アイスホッケー吉川選手

2018年3月11日

吉川選手(奥)に筋トレの指導を受ける熊谷さん=阿智村で

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 平昌パラリンピックでパラアイスホッケーの代表選手に選ばれた阿智村の会社員吉川守選手(48)は十日、FWとして韓国との初戦に臨み、チーム最多となる五回目の出場を果たした。頭を悩ませているのが、厳しい競技環境の影響で選手数が減っている現状。「メダルを取って、競技する人を増やしたい」。競技衰退の危機感も胸にリンクを駆け回った。

 十八歳の時、交通事故で左足の関節と左手の指がうまく動かせない障害が残った。左手の握力は十キロに満たない。二十五歳で競技を始め、パラでは日本が初参戦した二十年前の長野大会から四回連続で主力として活躍。二〇一〇年のバンクーバー大会で銀メダルを首に下げたが、前回ソチ大会は出場もかなわず、涙を流した。

 吉川選手は事故で夢だった大工の職を絶たれた後、パラアイスホッケーに生きる目標を見いだした。同じような境遇の人にも打ち込んでほしいと思うが、手軽に始めるには競技環境が厳しく「競技人口は百人に満たない」と少ないのが現状だ。

 競技ができるリンクが限られ、練習は深夜や未明。海外遠征も費用がかさむ。国内のクラブチームは吉川選手の所属する岡谷市の長野サンダーバーズを含め四チームだけ。関西から岡谷に通う選手もいる。若手が増えず、パラに出場する強豪カナダの平均年齢は二十代だが、日本は約四十二歳だ。

 右肩下がりの競技人口を増やそうと、日本代表チームなどは、競技で使うそりに乗る体験会を各地で定期的に開いている。岡谷市へ通う関西の子どもが現れるなど成果があり、阿智村の中学二年熊谷将吾さんも一年余り前に競技を始めた。

 熊谷さんは生まれつき両足にまひが起きる脊椎の病気を患う。スポーツとは無縁の生活で、体育の授業も参加せずに見学することが少なくなかった。現在は毎週水曜に阿智中学の体育館で筋力トレーニングに励み、土曜には吉川選手の車で岡谷市の練習拠点に通う。吉川選手も世界最高峰の大会で感じた貴重な体験を伝え、人生に通じる粘り強いプレーの大切さも説いている。

 熊谷さんは、体育の授業で車いすで走り回るなど、積極的な姿を見せるようになった。「一緒に競技し、目覚めたみたい」と吉川選手。熊谷さんの父晃さん(49)も「殻に閉じこもる時もあったが、強くなった。楽しんでいるよ」と目を細める。

 熊谷さんは平昌パラの応援で現地に駆け付ける。吉川選手は「憧れ。背中が大きすぎる」存在だが、世界トップレベルの試合を観戦して上達のヒントを見つけ、四年後の北京で一緒に「日の丸」を背負う夢を描く。吉川選手は「将吾をはじめ多くの人に『パラに行きたい』と思ってもらえるプレーをしたい」と思いを込める。

 (伊勢村優樹)

中日新聞 東京新聞

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