夢見た世界 エースの勇姿を アイスホッケー・熊谷選手=長野・高森

2018年3月10日

卓越した技術力と圧倒的なパワーで日本のエースに成長した熊谷選手=長野市で

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 9日に開幕した平昌(ピョンチャン)パラリンピックで、パラアイスホッケーに初出場する長野県高森町の自動車修理業熊谷昌治選手(43)=長野サンダーバーズ=は予選で得点を重ねたパラ出場の立役者だ。同郷のパラアスリートとの出会いや家族への思いを支えに、事故で右足の膝下を失った辛苦を克服した。平昌でも攻撃の要として活躍が期待され「中途障害の僕がこの年齢でも世界で活躍できることを知ってもらいたい」とメダルを目指す。

 悲劇は突然やってきた。二〇〇八年八月。大型バイクで帰宅中に飯田市内の国道で対向車線から右折してきた車とぶつかり、十五メートルはね飛ばされ右下腿(かたい)を骨折した。動脈も損傷し、膝から下を切断せざるを得なくなった。

 当時三十三歳。見た目や将来への不安が込み上げ、病室で何度も泣いた。人生をも諦めかけた時、妻の久美さんが家族の前で涙ながらに語ってくれた言葉が心の支えになった。「お父さんは強い足になるんだよ」。四カ月後に切断。リハビリ中に義足の走り高跳び選手と出会い、同じ障害がありながら、ぴょんぴょん跳ね回る姿に希望が湧いた。

 さまざまなパラスポーツを始めたが、ホッケーを選んだのは一〇年、バイクを通じて知り合い、バンクーバー大会で銀メダルを獲得した阿智村の吉川守選手に誘われたことがきっかけ。メダルを手のひらに乗せてもらい「世界を見ようぜ」の誘い文句に胸を打たれた。

 競技経験はなかったが、「夢に向かって頑張る姿を見せたかった」と家族への思いを原動力に、競技を始めて三カ月で代表入り。日本が五大会連続出場を逃したソチ後の四年間は、副主将として深夜や未明など厳しい時間から始まる練習に誰よりも早く姿を見せた。日本が苦手だった利き手ではない側のシュート練習にも注力するよう指示。吉川選手とともに攻撃の要となり、昨年十月の最終予選は四試合でチーム最多の四得点を挙げた。

 苦しい練習の支えとなった久美さんと三人の子どもは十日の韓国との初戦を観戦しに会場を訪れる予定。熊谷選手は「家族をパラに連れて行くのが何よりの目標だった。格上ばかりだが、家族の記憶に残り、自慢できるような勇姿を見せたい」と力を込める。

 (伊勢村優樹)

中日新聞 東京新聞

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