
「一歩踏み出す勇気を」 視覚障害の高村和人選手
2018年3月9日
藤田佑平ガイド(左)の誘導で練習する高村和人選手=北海道・旭岳で |
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【平昌(ピョンチャン)=神谷円香】韓国・平昌冬季パラリンピックが九日夜、開幕する。日本の代表選手三十八人のうち、視覚障害はただ一人。ノルディックスキーの距離とバイアスロンの二競技で初出場の高村和人選手(35)=盛岡市=は、家にこもりがちな視覚障害者に「一歩踏み出す勇気を与えたい」と雪原に踏み出す。
視力は光を感じる程度。競技中は専属ガイドの藤田佑平さん(25)=埼玉県所沢市=が「右曲がります」などと誘導する声をイヤホンで聞きながら走る。コースの起伏は事前に三、四回滑れば頭に入るという。
児童たちにビームライフルの扱い方を教える高村選手(左)=盛岡市の盛岡視覚支援学校で |
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秋田県仙北市出身の高村選手は小学五年の時、次第に視力を失う網膜色素変性症と分かった。高校二年で岩手県立盲学校(現盛岡視覚支援学校)に転入。鍼灸(しんきゅう)を学び、病院勤めなどを経て二〇〇九年、母校で教諭になった。一一年冬、健常者の同僚に誘われ競技を始めた。育った地域で盛んだったアルペンスキーは小学生から楽しんでいたが、「雪上のマラソン」といわれるノルディックスキーの距離の経験はなかった。瞬発力が必要なスポーツは得意だが、距離に求められるのは持久力。「不得意だからこそ挑戦しよう」と決めた。
「高村先生だからできるんでしょ」と、同僚や生徒に言われたことがある。自分に特別な能力や、不屈の精神があるとは思っていない。「本当に言われたくない言葉で。誰でも努力すれば、その過程は無駄にはならないと言いたい」
中学時代は病状を受け入れられず内にこもり、社会に出る頃は職業が限られる現実に思い悩んだ。距離は視覚障害者の競技人口が少なく、初めはガイドを探すのにも苦労した。それでも「歩みをゼロにしないのが大事」と雪の上に立つことだけでも続けてきた。
大会の目標は決めていない。「結果がもし駄目だったら過程までも否定してしまうから」。初戦は十日、距離と射撃を組み合わせたバイアスロン。結果を恐れず挑戦する勇気を見せたいと思う。

