恩人と共に弾む夢舞台 パラアイスホッケー・熊谷選手

2018年3月8日

固く握手して、互いに健闘を誓い合う熊谷(左)、吉川の両選手=2月12日、熊本市で

写真

 九日に開幕する韓国・平昌(ピョンチャン)パラリンピックで、パラアイスホッケー日本代表のFW熊谷昌治選手(43)=長野県高森町=は八年前、FW吉川守選手(48)=同県阿智村=に誘われて競技を始めた。二大会ぶりの出場となる日本代表では、今やエースの存在だ。初戦は十日の対韓国戦。世界の舞台に引き上げてくれた吉川選手の期待に応えようと、平昌のリンクでの大暴れを誓う。 (平昌・田井勇輝)

 昨年十月、平昌大会への出場を懸けた最終予選で、熊谷選手はチーム最多の4得点。日本が銀メダルを獲得した二〇一〇年カナダ・バンクーバー大会以来の出場をつかみ取った。

 熊谷選手は、会社員だった三十三歳の時、交通事故が原因で右脚の膝から下を切断した。「もう終わりだな」と将来を悲観したことも。だが、「生きる希望にしたい」と、退院してから車いすバスケットボールや水泳などに打ち込んだ。

 二年後、吉川選手と出会う。県内の体育館でバスケの練習をしていたところ、チームの仲間から吉川選手を紹介された。パラアイスホッケーのメンバーを探していた吉川選手は「おまえはここでやっている場合じゃない。もっと上のレベルを見ようぜ」と熊谷選手を誘った。

 当時、吉川選手らが銀メダルを手にしたバンクーバー大会が終わったばかり。メダリストの言葉に、熊谷選手は「やりたいです」と即答した。「結果を出している人たちとプレーして、(世界で戦う)上の舞台を目指したかった」と振り返る。

 競技を始めて三カ月ほどで代表入りしたが、順風満帆ではなかった。

 日本代表は一四年ロシア・ソチ大会への出場を逃した。熊谷選手は予選で主力にはなれず、出場機会が少なかった。チームに貢献できなかった悔しさで落ち込んでいた時、支えてくれたのも吉川選手だった。「ソチに行けなくて悪かった。次こそ熊谷をパラに連れて行ってやりたい」

 その言葉で、気持ちを切り替えた。四年後の平昌に照準を定めて練習を再開。三人の子どもと過ごす時間より、トレーニングを優先してきた。昨秋、平昌行きの切符を獲得した時、「夢がかなった」と二人は喜びを分かち合った。

 熊谷選手は「楽しいアイスホッケーに出合うきっかけをつくってくれた」と、吉川選手への感謝を忘れたことはない。二人は健闘を誓い合う。「良いプレーをして、頑張ろう」。力のこもった言葉がリンクに響いた。

中日新聞 東京新聞

※ご利用のブラウザのバージョンが古い場合、ページ等が正常に表示されない場合がございます。

Search | 検索