原点は小学校ジャンプ台 複合団体、渡部兄弟と山元選手
2018年2月22日
ノルディックスキー複合個人ラージヒルで、競技後に山元豪選手(左)と話す渡部暁斗選手=20日、平昌で(潟沼義樹撮影) |
五輪選手を生んだ白馬北小のジャンプ台=長野県白馬村で |
【平昌(ピョンチャン)=鈴鹿雄大】二十二日のノルディックスキー複合団体に出場する渡部暁斗(29)、弟善斗(26)の両選手=いずれも北野建設、長野県白馬村出身=と、山元豪選手(23)=ダイチ、富山市出身=は、小学校にあるジャンプ台が競技を始める原点。それぞれの母校は四十年以上前から県境を越えて交流し、五輪選手を育んだ。
渡部兄弟が通った白馬村の白馬北小。校庭には約二〜十メートルの三種類のジャンプ台があり、児童らが元気に飛んでいる。一九六七年に最初の木製ジャンプ台が完成し、十年後に鉄骨に建て替え。二〇一〇年に全面改修された。
立山連峰を挟んだ山元選手の母校、富山市の小見(おみ)小は七三年、白馬北小のジャンプ台を参考にして、高さ十一メートルのジャンプ台を設置した。完成の際には、白馬北小の関係者を招待。それをきっかけに、児童らが毎年交互に行き来し、スキー交流を楽しむようになった。
両校はジャンプやクロスカントリーを授業に取り入れており、三選手は基礎を学んだ。山元選手は「小学校の授業がスキーを始めたきっかけ。最初は何となくやっていたが、上達して大会に出るようになってのめり込んだ」と振り返る。渡部兄弟と同じ早大を卒業し今大会、初の五輪出場を果たした。
雪不足で実施できない年もあったが、両校の交流は途絶えなかった。白馬北小の卒業生でもある同校の吉沢一夫教頭は「両校から複合の選手がそろって五輪出場を果たして驚いた。全てはジャンプ台がつないだ縁。三人の力でメダルをとってほしい」と期待を寄せる。