夢舞台、世界と戦った カーリング両角兄弟
2018年2月22日
日本−韓国 第6エンドを終え集まる両角友佑選手(右から2人目)と公佑選手(左)ら=江陵で(田中久雄撮影) |
平昌冬季五輪カーリング男子一次リーグで二十一日、最終の韓国戦に敗れて準決勝を逃したSC軽井沢クラブ。両角友佑(ゆうすけ)選手(33)と公佑(こうすけ)選手(29)=軽井沢町出身=の兄弟はこれまで、生活費をやりくりしながら海外遠征で技術を磨き、この競技の男子チームとして二十年ぶりの夢の舞台で力の限り戦った。
地元韓国の大声援が会場を包む中、SC軽井沢は第五エンドまで3−3と一進一退の攻防を繰り広げた。動いたのは第六エンド。相手のショットが決まり一挙4点をもぎ取られた。その後も差を広げられた。
通算四勝五敗。公佑選手は「一勝って重い。勝ち越さないとメダルには届かない」と悔しがった。だが日本男子チームとしては一九九八年長野五輪以来の出場。友佑選手は「二十年間世界に置いていかれていた日本男子が、ようやく対等に試合ができるところまで来た」と振り返った。
軽井沢町は長野五輪でカーリングの会場となった。当時十三歳の友佑選手と九歳の公佑選手は、母玲子さん(59)が会場の飲食店で働いていたこともあり、二人でほぼ毎試合、観戦した。準決勝をかけた日本対米国の大攻防を目の当たりにし、競技への関心が膨らんだ。
友佑選手は中学二年、公佑選手は小学六年で競技を開始。順調に実力を伸ばしたが、競技を続けるための苦労は絶えなかった。
冬場は海外での合宿や大会を転戦。遠征費は年間七十万円ほどかかる。公佑選手は夏は自宅近くの保養施設でアルバイト、友佑選手も学生時代にアルバイトした貯金やSC軽井沢クに勤めた給与で賄った。チームメートも同じ状況。出費を切り詰めるため、遠征先で一つのベッドに二人で寝ることも少なくなかった。
それでも兄弟は夢中で続け、念願の五輪の舞台にたどり着いた。玲子さんは「ずっとやってきたことが実った。本人たちは幸せだと思う」と感慨深げに話す。
有力チームにもひけを取らない勝負を展開した。友佑選手が「自分たちのやりたいカーリングはできた。本当に楽しかった」と話せば、公佑選手は「仕事もお金もない中で続けてきた。でも支えもたくさんもらい、恵まれてここまで来た」と感謝を口にした。
(江陵(カンヌン)・安福晋一郎)