
亡き祖父の思い胸に 小野塚「ベスト尽くした」と涙
2018年2月20日
フリースタイルスキー女子ハーフパイプ決勝5位に終わり涙をぬぐう小野塚彩那選手=20日、平昌で(潟沼義樹撮影) |
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【平昌(ピョンチャン)=鈴鹿雄大】2014年のソチ五輪に続く表彰台には届かなかった。20日のフリースタイルスキー女子ハーフパイプ(HP)5位入賞の小野塚彩那選手(29)=石打丸山ク。「ベストを尽くした結果。しっかり受け止めたい」と目に涙を浮かべた。
新潟県南魚沼市出身。スキーを始めた2歳のころから、おじいちゃん子だった。祖父・勝利(かつとし)さんは初孫をかわいがり、スキーを教えた。選手ではなかったが、勝負に厳しかった。小学生から大会で活躍していた小野塚選手が、2位や3位の賞状を見せても、「1位以外はみんな一緒だ」。
頑張りを認めてほしいとの思いは強く、勝利さんと言い争ったことも。優勝以外の賞状は、折り畳んで持って帰るようになった。だが祖父の言葉は愛情の裏返し。勝利さんは冬になると新聞のスポーツ面を毎朝一番に開き、孫の名前を探した。
小野塚選手の祖父勝利さんの遺影。左は形見のネックレス=新潟県南魚沼市で |
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孫が世界を舞台に活躍する日を願いながら、勝利さんは2012年3月に病死。以来、母のゆかりさん(49)は勝利さんから譲り受けたネックレスを、海外遠征に向かう小野塚選手に持たせるようになった。
「天国からいつも見守っている気がするから。娘が大変なときに助けてくれるはずだから」
ソチ五輪はネックレスを身に着けて銅メダルに。帰国直後、地元の居酒屋を訪れ、勝利さんの指定席で結果を報告した。「ネックレスは卒業した」と話す小野塚選手。20日はゆかりさんがネックレスを携えた。弟の光輝(こうき)さん(23)も勝利さんの遺影を持参し、一緒に姉の滑りを見守った。1番にはなれなかったが、ゆかりさんは「楽しんで滑ってくれたらいい。ほめてあげたい」と娘の健闘をたたえた。

