岩渕選手に地元・菅平で声援 けが克服、大舞台「すごい」

2018年2月14日

同級生とともに応援を盛り上げる伝田さん(左)=上田市菅平高原で

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岩渕香里選手

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 平昌五輪スキージャンプ女子に出場した上田市出身の岩渕香里選手は、初の五輪を十二位で終えた。小中学時代の同級生で、競技者として切磋琢磨(せっさたくま)してきた伝田翁玖(としひさ)さん(24)=岐阜県大垣市=は十二日夜、上田市菅平高原で地元住民ら四十人と声援を送り「けがに悩んだこれまでの道のりを知っているからこそ、五輪の舞台に立ったこと自体がすごい」と健闘をたたえた。

 「やろうぜ」。上田市菅平小のジャンプ部に所属していた伝田さんは小学六年の時、仲間を増やそうと岩渕選手に声を掛けた。

 これをきっかけにアルペンから転向した岩渕選手は間もなく、ミディアムヒルのK点を4メートル上回る64メートルを飛んだ。伝田さんと別の同級生の男子部員は62メートル。伝田さんは「悔しかったけど、衝撃だった」と振り返る。

 別々の高校に進学してからも、県内のジャンプ台などで毎月のように顔を合わせた。岩渕選手は松本大一年の時、両膝の靱帯(じんたい)を断裂する大けがを負った。別の大学でノルディック複合の選手として競技を続けていた伝田さんが「大丈夫?」とメールすると「ソチ五輪は難しそう」と返信が来た。「膝のけがは選手生命に関わる。復帰できるのか」と心配した。

 岩渕選手は手術を経て無事復帰。四年前のソチ五輪は逃したが、平昌五輪代表に選ばれた。ジャンプ台で元気に飛ぶ姿を見てきた伝田さんは「相当な努力をしたことは同じ選手だから分かる。けがの前より技術も上がっている」とメダル獲得の期待を寄せた。

 十二日は、他の同級生三人とともにマイクを手に「レッツゴー香里!」と応援を盛り上げ、競技の行方を見守った。伝田さんは「先に五輪に出場されて悔しい思いもある。四年後は一緒に同じ舞台で戦いたい」と力を込めた。

 (安永陽祐)

中日新聞 東京新聞

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