岐阜の両親に「恩返しを」 感謝の滑り、堀島無念

2018年2月13日

男子モーグル決勝2回目の滑走を終え、厳しい表情の堀島行真選手=12日、平昌で(潟沼義樹撮影)

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決勝を見る(左から)堀島選手の父・行訓さん、姉・有紗さん、母・則子さん=12日、平昌で(潟沼義樹撮影)

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 初の五輪に臨んだフリースタイル男子モーグルの堀島行真選手(20)=中京大、岐阜県池田町出身=は、決勝二回目で転倒し、無念の表情を浮かべた。早くからトップ選手と期待され、海外遠征を繰り返して臨んだ大舞台。快挙は逃したが、費用を支えてくれた両親への感謝の思いとともに滑った。

 北欧や北米などを転戦するワールドカップ(W杯)に中学三年でデビューした。五十人近い選手が出場するW杯は予選で上位十六人に入れなければ決勝に進めない。帰国して岐阜県池田町の自宅に戻るたび、「ダメだった」。

 当時の負担は、遠征一回で三十万円ほど。堀島選手は「自分のお金じゃないので申し訳ない思いはあった」。でも、W杯に行きたかった。「まずは国内で」という父行訓(ゆきのり)さん(57)とけんかになり「じゃあ(競技を)やめる」と言ったこともあった。

 初めてW杯で決勝に進んだのは高校一年の三月。ノルウェーで初めて十三位で予選を突破した。先輩の遠藤尚選手(27)は、堀島選手が号泣したことを覚えている。「うれしかったんだろう。その気持ちはよく分かる」

 遠藤選手から号泣の話を聞いた母則子さんは「本当にかわいそうなことをした。決勝に残らなきゃという重圧の中で戦っていたんだなって。なにくそと踏ん張っていたんだなって」。

 その後も堀島選手は、全日本の海外合宿を「日本でやることがあるので」と何度か辞退した。実は両親の負担を考えてのことだった。再びW杯の決勝に進んだのは高校三年の十二月。非五輪種目のデュアルモーグルで三位に入った。

 現在は賞金や補助金などでやりくりする。「ちょっとずつお金を頂けるようになった。両親にしっかり恩返ししたい」と話していた。

 転倒後、コース上でぼうぜんと立ち尽くした。両親に伝える言葉を問われ、「謝りたい。四年かけてメダルを取れる選手になって帰ってきたい」と誓った。

 (平昌・上條憲也)

中日新聞 東京新聞

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