高梨、道開いた先輩へ感謝の飛躍を 「やれる限り」

2018年2月12日

公式練習で調整する高梨沙羅=潟沼義樹撮影

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 女子は12日夜に行われ、高梨沙羅(クラレ)や伊藤有希(土屋ホーム)ら日本勢4人が出場する。前回ソチ大会で金メダル候補と期待されながら4位に終わった高梨にとっては雪辱の舞台となる。

 11日の公式練習で、高梨は103・5メートルと105・5メートルを飛んだが、3回目は体調管理のため飛ばず、万全の状態で本番に備えた。平昌のジャンプ台は冷たい強風が吹く。本番では有利な向かい風を受けて飛距離を伸ばしながら、飛型点もしっかり決めたい。

公式練習を見守る山田いずみコーチ=潟沼義樹撮影

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 海外勢はこの日、今季W杯10戦で7勝を挙げる金メダル候補のルンビ(ノルウェー)が2回目に圧巻の111メートルを飛んだ。ただ、着地した後に板が流れてバランスを崩し、転倒するアクシデントも。すぐに起き上がって一人で歩いたが、3回目は飛ばなかった。

 日本勢では前回ソチ大会7位だった伊藤が「4年間、準備してきた。あとは気持ち」と意気込んだ。岩渕香里(北野建設)、勢藤優花(北海道ハイテクAC)の五輪初出場組にも期待がかかる。 (平昌・上條憲也)

 今季のワールドカップ(W杯)で未勝利が続くジャンプ女子の高梨沙羅(クラレ)が公式練習を行う姿を、全日本コーチの山田いずみさん(39)が温かな目で見守った。

 女子はかつて、国内大会すらなかった。山田さんは1992年、日本の女子として国内の公式大会で初めて飛んだ。当時は苦労が絶えなかったという。中学生になったころから、規模の大きな大会は男子の参加が前提。更衣室はなく、飛んでも公式記録に認められないことさえあった。

 それでも各地で女子選手が増え、99年には国際スキー連盟(FIS)公認の初の女子国際ツアーが欧州で始まり、派遣された山田さんは4位に食い込んだ。当時中学生だった元選手の小浅星子さん(34)は「いつか山田さんと一緒に飛べるように頑張ろうと思った」と振り返る。

 山田さんは2009年に引退。W杯はその2年後に始まった。小浅さんら五輪を夢見た黎明(れいめい)期の選手が引退していく中、頭角を現したのが高梨だった。高梨の母千景さん(50)は、娘が山田さんから「あとを頼むよ」と言われたことを思い出す。「沙羅は先輩たちの背中を見てきた。だから自分が女子ジャンプをもっと発展させなきゃ、と思っている」

 五輪で初めて女子が実施されたソチ大会に続いて出場した高梨が、いつも口にする言葉がある。「先輩たちのおかげで、今がある」。その先輩たちに見守られながら挑む2度目の五輪。高梨が力を込めた。「やれる限りをやりたい」 (上條憲也)

中日新聞 東京新聞

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