
<アリランの風>(5)巨大施設 貧しかった地域が様変わり
2018年2月7日
サーチライトを夜空に照らす平昌五輪スタジアム。本番に向け準備が進む=平昌で |
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空がオレンジから群青色に変わるころ、開会式のテストだろうか、平昌(ピョンチャン)五輪スタジアムに青や紫の光がともる。平昌郡大関嶺(テグァンリョン)、人口六千人の山あいの町。周囲に広がる畑や牧場が闇に沈むと、商店街や住宅の小さな光を従えて、スタジアムの威容が浮かび上がった。
巨大施設のそばにある老人会館。「五輪開催が決まったのをテレビで見たとき、うれしくて涙が出たよ」。老人会会長の金光起(キムクァンギ)さんは遠くを見るように言う。生まれたのは日本の植民地時代で、「多分、一九三八年」。独立後も一帯が朝鮮戦争の激戦地になったために、戸籍の書類が失われ、正確にはわからない。
この土地で取れたのはジャガイモなど寒さに強い作物だけだった。農家は集めて出荷し、利益を分けて助け合った。その指導者組織の幹部を長らく務めた。「いかに飢え死にせずに暮らすか、必死だった」
この十年で町は様変わりした。次々と建設されるリゾート施設にマンション。
「貧しかった地域が発展して五輪が開催できるまでになったんだ」。胸に着けた五輪マスコット、スホランのバッジを誇らしげに見せた。 =おわり
写真・田中久雄/文・安福晋一郎

