渡部暁が4連勝 地元・長野のW杯で圧巻のジャンプ&滑り

2018年2月4日

後半距離で独走する渡部暁斗(福沢和義撮影)(上)優勝し、表彰式でガッツポーズ=長野・白馬で

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 ノルディックスキーのワールドカップ(W杯)複合白馬大会第1日は3日、長野県白馬村で個人第13戦が行われ、平昌冬季五輪代表で個人総合首位の渡部暁斗(29)=北野建設=が優勝、4連勝で今季5勝目を挙げ、通算14勝とした。1シーズン5勝は自己最多。前半飛躍(ヒルサイズ=HS134メートル)で130・5メートルを飛んで首位に立ち、2位に16秒差をつけてスタートした後半距離(10キロ)も危なげなく逃げ切った。他の五輪代表勢は山元豪(ダイチ)が自己最高に並ぶ7位に入り、渡部善斗(北野建設)が8位、渡部剛弘(ガリウム)が19位、永井秀昭(岐阜日野自動車)は26位だった。

 15年ぶりにW杯を開催した故郷に圧巻Vを届け、歴史に名を刻んだ。欧州の大会で3連勝した直近の試合と同様、前半飛躍で優位に立ち、後半距離で逃げ切る必勝パターン。渡部暁は「勢いをつけて欧州から帰国して、さらに調子の良いところをみなさんに見せられてうれしい」と爽やかな笑みを浮かべた。

 実は、会心のジャンプではなかったという。「飛び出した瞬間は失敗したと思った。2位か3位かな」。見上げた電光掲示板の最上位に自分の名前を確認すると、思わず右の拳を握り締めた。「風がころころ変わるのは分かっていた。ちょっと流れが悪いなと思ったけど、(直前に)向かい風が入ってきてくれた。みなさんの声援が向かい風になって上がってきてくれた」と集まった地元ファンに感謝した。

 2日の公式練習で着地後に激しく転倒。一夜明けると、強打した胸と首に痛みが出たという。「交通事故に遭って、次の日無事ですって人はいない。走りに少し影響があったし本調子ではない」。それでも、16秒差をつけてスタートした後半の距離では後続の気配すら感じることはなかった。

 1998年長野五輪を観戦したのをきっかけに小学4年でジャンプ競技を始めた。大会前には、人生の初ジャンプについて「飛んだというよりは落ちた。正直、恐怖心がある中で、1本滑り降りたという達成感に近い高揚感があったと記憶している。飛んだ気持ちよさとかはその時点では感じられなかった。恐怖心に勝ったというその1点だった」とはにかんだ。

 あの日の少年は今、日本のエースとして4度目の五輪で金メダルに挑む。その前にラスト1戦。「もう1回勝って、良い気分で平昌五輪に臨みたい」。大一番へ最高の流れで挑むためにも、地元で連勝を止めるわけにはいかない。 (福沢和義)

 ▽山元豪「フルメンバーがそろったW杯だったら、ここまでうまくいかない。できればもっと上を目指したかったが、とりあえず集団の中ではいい滑りができた」

 ▽渡部善斗「(後半距離の)最後がうまくいかなかった。ジャンプにしても距離にしても、すごくもやもやした部分が残っている。(次戦は)両方とも良くなれば」

 ▽渡部剛弘「フルメンバーがいたらW杯得点(30位以内)を取れなかったと思う。でも(飛躍で)きっかけはつかみ始めている。そこが改善できたら、ぐんと成績が出ると思う」

 ▽永井秀昭「ジャンプでかなり出遅れていたので、必死に前を追うしかなかった。やっぱり上位で走らないと全く勝負にならない。課題はジャンプ」

中スポ 東京中日スポーツ

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