7月6日

過去の選考過程さまざま オシム氏…W杯前に打診 ザック氏…決定まで難航

 W杯後の日本代表監督選考は、大会中から一本化されたケースもあれば、難航したケースもある。

 2002年日韓大会後に就任したジーコ氏には、大会終了直後に当時の川淵三郎Jリーグチェアマン(後に日本サッカー協会会長)が正式に就任を要請し、ほどなく基本合意が明らかになった。監督としての経験不足も指摘されたが、日本協会は鹿島が強豪クラブに育つ礎を築いた点を評価。日本への造詣が深いジーコ氏も就任に前向きだった。

 06年ドイツ大会後に監督となったオシム氏には日本協会がW杯開幕前に水面下で就任を打診していた。日本が1次リーグで敗退し、6月24日に代表チームが帰国。総括会見で川淵会長が後任候補として一本化した事実を漏らした。当時のオシム氏はJ1千葉の現役監督。7月1日に日本協会とクラブ、本人の3者協議が行われ、大筋合意した。

 10年南アフリカ大会後のザッケローニ氏の決定は時間がかかった。当時の原博実強化担当技術委員長が交渉を担当。候補が複数挙がって難航し、日本協会が就任を発表したのは8月30日。9月の国際親善試合2試合は原氏が代行監督を務めた。

 この反省を踏まえ、日本協会はザッケローニ氏の後任決定を急いだ。14年ブラジル大会の1次リーグで敗退してから1週間足らずでアギーレ氏に一本化。7月24日に合意を発表した。

中日新聞 東京新聞

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