本田圭佑が代表引退
ベルギーに逆転負けしてうつむく乾(右)をねぎらう本田=ロストフナドヌーで(岩本旭人撮影) |
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【ロストフナドヌー(ロシア)本紙取材団】サッカーのW杯ロシア大会の決勝トーナメント1回戦(2日)で2−3とベルギーに敗れ、史上初の8強入りを逃した日本代表のMF本田圭佑(32)=パチューカ=が試合後、「これが僕自身にとって最後のW杯になる。4年後は考えられない」などと語り、代表からの引退を示唆した。本田は2008年6月に代表デビュー。W杯では10年南アフリカ大会から今大会まで3大会連続得点と日本人選手唯一の偉業を達成し、侍ブルーのユニホームに別れを告げた。
◆「4年後は見えない。はっきり言える」
多くの日本選手が失望感をあらわにする中、本田だけは、達観したような顔をしていた。
「現実です。これが僕にとって最後のW杯だった。正直、みんなをもう一つ上のステージへ連れて行ってあげたかった。あそこで決められないのが僕の実力だし、受け入れないといけない」
2−2の後半36分から途中出場。ロスタイムにゴール正面約33メートルの位置から無回転FKでゴールを狙ったが、ベルギーのGKクルトワに阻まれた。直後の左CK。もう時間はなく、日本が劇的な決勝弾を決めるのか、延長戦に入るのか、と思われた場面で、本田はクルトワに簡単に捕球される意図が見えないCKを蹴ってしまった。ベルギーの決勝点はそこからのカウンター。軽率なプレーと批判されても仕方のないプレーだった。
「僕は同点で出るというシチュエーションを想定していたのに、結果を出せなかったのは本当に申し訳なかった」
初めてのW杯は10年南ア大会。1トップで起用され、4戦フル出場で2ゴール1アシストと活躍。チームも16強入りし、その名を世界に知らしめた。14年ブラジル大会は「優勝を目指す」と公言。トップ下で3戦フル出場で1ゴール1アシストと奮闘したが、1次リーグで敗退した。今大会は控えとして計3戦に途中出場。出場時間は計47分間と短かったが、1ゴール1アシストと、過去に例の少ない「3大会連続1ゴール1アシスト以上」を達成した。
盟友・長友に「W杯に愛された男」と形容された本田は感慨深そうに「自分は小さいころから、この(W杯の)ためにやってきたんですよ」と語った。
代表引退を明言こそしなかったが、「4年後は見えない。それははっきり言える」と22年カタール大会には出場しないと宣言した。そのうえで、こう話した。「実力を出し切ったという意味で悔いはないです。ただ優勝を目指したが果たせなかった。この意志は次の若手に引き継いでもらいたい」。長きにわたって日本代表をけん引した本田は「W杯優勝」という目標を若手に託した。代表通算で出場98試合(歴代8位タイ)37得点(同4位タイ)。その顔に達成感がにじんだ。 (原田公樹)
