7月4日

日本8強逃す ベルギーに2−3 攻めた 美しき敗退

ベルギーに敗れ、肩を落とす乾(左)をねぎらう西野監督=2日、ロストフナドヌーで(岩本旭人撮影)

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 【ロストフナドヌー=ロシアW杯本社取材団】サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会の決勝トーナメント一回戦で、日本は二日(日本時間三日)、当地でベルギーと対戦し2−3で逆転負けを喫して初の八強入りはならなかった。W杯の決勝トーナメントで2−0からの逆転劇は、一九七〇年大会の西ドイツ(当時)−イングランド以来四十八年ぶりとなった。

◆乾の覚醒 香川がいたから

 顔を覆ったタオルの下で目が赤く染まっていた。涙が止まらず言葉が継げない。2点リードから、悪夢のような敗北。MF乾貴士(30)=ベティス=は、うつむきながら声を絞り出した。「悔しいですけれど、このメンバーでここまで戦えたのは本当に誇らしい」。真っ先に口をついたのは、チームへの感謝だった。

 大会二カ月前の監督交代。上意下達の前監督に対し、後任の西野朗監督(63)は選手の自主性を重んじ、意見に耳を傾けた。双方向の対話は、日本に欠けていた「和」を生み、前への仕掛けが持ち味のドリブラーも、自由闊達(かったつ)にピッチを躍動した。全四試合に出場して2得点。初の八強に肉薄する原動力になった。

 ベルギー戦の2点目、鮮やかな無回転シュートが象徴的だった。

 アシストしたのは、同年代のMF香川真司(29)=ドルトムント。セレッソ大阪時代、エースの座を巡ってしのぎを削り、J2だったチームをJ1に押し上げた。コーチの小菊昭雄さん(42)は「かつては一方がゴールを決めても、もう一人は喜ばず、パスを出し合わない時期もあった」。ライバル関係は双方を高め、やがて連係を生んだ。二人の「和」は、最高峰の舞台で実を結んだ。

 二〇一五年、滋賀県立野洲高時代から憧れていたスペインへ。三十歳で初めてワールドカップにたどり着いた。でもあと少し、越えられなかった、八強の壁。まぶたを腫らした背番号14は、その道のりを振り返り「コロンビアは本当に強かった。セネガルの身体能力もすごかった。でも自分たちも、ボールは持てた」。悔しさをにじませ、こう言葉を継いだ。「このサッカーを続ければ、もっと良いところに行けるかもしれない」(ロストフナドヌー・河北彬光、カザン・浅井俊典)

中日新聞 東京新聞

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