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能登半島地震特集

被災地に生きる(4) 被災者本位の支援を

大勢のボランティアであふれた災害ボランティアセンター。被災者主体の支援という課題も浮かび上がった=石川県輪島市門前町で(畦地巧輝撮影)

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ボランティア

 石川県輪島市門前町道下で独り暮らしする田辺とみさん(71)は自宅の様子を見ては途方に暮れた。柱が傾き、ふすまは動かない。タンスは倒れ、割れたコップや皿が散乱。割れた窓ガラスから光が差す。天気予報は雨が迫っていると告げるのに屋根瓦はずれたままだ。

 一人ではタンス一つ動かせない。避難所生活で疲れはピーク。支え合ってきた近所の人も被災した。遠方の息子たちの援助は心配かけまいと断った。「何をしてくれるかよく分からなかった」。すがる思いでボランティアを頼んだ。

 三月二十八日の昼すぎ。金沢市からきた男女五人の若者は約二時間で床を片づけ、ずれた屋根瓦を下ろした。「見ず知らずの人が世話してくれるとは」。感謝の気持ちと「おばあちゃん頑張って」の言葉が心に残る。

   ◆  ◆

 地震から三日後の二十八日にボランティアを受け入れる「災害ボランティアセンター門前」が設置されると、全国から若者らが集まった。震災でショックを受けた町に活気が戻り復興へ向かって進み始めた。人口約七千八百人の門前町。六十五歳以上の高齢者は50%に迫る。がれきの撤去や家具の運搬など力仕事に被災者の希望が集中した。

 一方で、人余りという不都合も生じた。

 二次被害の恐れがある場所へボランティアは派遣できない。災害ごみを運ぶトラックも足りなかった。作業できる現場は限られるのに、金沢市と被災地を結ぶシャトルバスの運行で被災地入りする人はさらに増えた。四十件の依頼に三百人以上集まったこともあった。

 町には所在なげなボランティアが増え、センターは県にバスの運行を減らすよう求めた。「せっかく来た人に帰ってもらうのは心苦しい」。センター長の赤坂佳子さん(54)は、仕事がない人に代わりに折り紙で小学生へのメッセージカードを作ってもらった。小学校の廊下に張られたカードは全国から送られた分も含めて約二千枚に達した。

 近所で助け合ってきた能登地域では、震災直後の動揺が収まらないうちに突然、ボランティアが入ってくることに戸惑うお年寄りもいた。

 災害ボランティア活動支援プロジェクト会議(東京、兵庫県西宮市)メンバーの桑原英文さん(42)は、新潟県中越地震と比べ、センターなど支援組織の開設は早かったが、その一方で、住民が支援を受け入れる土壌が十分整わないうちにボランティアが殺到したと指摘する。「支援者の都合ではなく被災者主体の意識を高め、有効な仕組みを作らなければ」と今後の課題を挙げた。

 ◇災害ボランティア◇ 1995年1月の阪神大震災を契機に、同年12月の改正災害対策基本法により行政がボランティアの活動環境を整備することが定められた。石川県の地域防災計画では各市町の社会福祉協議会が中心となり、被災地に災害ボランティアセンターを設置することを決めている。能登半島地震では輪島市、同市門前町、穴水町の3カ所にセンターを設置した。ボランティアの登録人数は今月29日までで約1万4000人に上り、このうち7割近くが門前町だった。

 ◇記者の目◇  被災者のためにボランティアの世話をする赤坂センター長。自宅の被害に話が及ぶと暗い顔になった。聞けば、震災から一カ月がたっても片づけは進んでいないという。和倉温泉でマッサージ師をする目が不自由な夫の元へも、なかなか顔を出せないでいる。

 地元の社会福祉協議会がセンター運営の中心となることで被災住民との関係はスムーズに進んだ。しかし、社協の職員もまた被災者だった。自宅が半壊したため仮設住宅からセンターに通うことになる職員もいる。「長期滞在してくれる指導者がいると心強い」。赤坂センター長の訴えが心に響く。ボランティアを受け入れる側へのケアも必要だ。 (報道部・高橋雅人)

 

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