トップ > 北陸中日新聞から > 能登半島地震特集 > 記事一覧 > 3月の記事一覧 > 記事

ここから本文

能登半島地震特集

あの日から2年−3・25能登半島地震(6)

きずな守り苦難越え

笑顔の区長今も奔走

「地域のきずなが大切」と語る深見地区区長の板谷弘さん=石川県輪島市門前町深見で

写真

 「地震の前と何も変わっとらん。周りのもんから『やせもせんし、太りもせんな』と言われとるし」。石川県輪島市門前町深見地区区長の板谷弘さん(74)は大声で笑った。底抜けに明るい。

 しかし、表情が曇る話題がある。船乗りの仕事を退職した六十歳から毎日つけている日誌だ。

 B5判の手帳。二年前の三月二十五日を開けた。「九時五十分ごろ、能登半島一円、大きな地震有、6強の深見 半壊、船で避難」と走り書きがある。

 「読み返す気はせんよ。情けのうなってくる」。振り返ると「あれで良かったのか」という思いが浮かぶ。

   ◇  ◇

 能登半島地震の土砂崩れで海沿いの道や林道が寸断された。漁港に面した深見地区は孤立し、全住民が船などで避難した。そして、この地震で唯一、集落への立ち入りが禁止された。さらに土砂崩れが起きる危険があったためだった。

 家が無事だった人も含め全員が帰れなくなり、防災工事が終わる二〇〇七年十一月末まで避難生活を送った。板谷さんは、住民の多くが入った同町道下の仮設住宅でも区長になった。

 行政やボランティアとの連絡、調整、マスコミの取材に対応した。内にも目を向け、慣れない生活にストレスをためがちな住民を励まし続けた。

 それでも避難生活はつらかったし、細かいトラブルはあった。「避難する時に地区の祭りのお金を残したままにした。頭が回らなかった」「全国から仮設にさまざまな慰問の申し込みがあったが、予定を忘れてしまったこともあった」。最善の判断をしてきたつもりでも、後悔は残る。

   ◇  ◇

 集落に戻って間もなく一年四カ月。板谷さんは一部損壊の自宅を自らくぎを打つなどして補修。静かな日常生活に戻った。海がないだ時は船を出し、「趣味のようなもん」という漁をする。荒れれば家で網の手入れ。その傍ら、区長として地区内外を走り回る。

 「隣近所がしっかりしていれば災害だけでなく犯罪への備えにもなる。当たり前やわいね」。苦難を越え、地域のきずなの大切さをあらためて実感する。 (七尾・寺本康弘)

 

この記事を印刷する

北陸中日新聞から
石川
富山