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能登半島地震特集

あの日から2年−3・25能登半島地震(8)

再建した酒蔵で新酒のしぼり込み作業をする中島浩司さん=石川県輪島市鳳至町の中島酒造店で

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県やファンらが“応援”

酒造り 奇跡の復活

 真新しい酒蔵の中には新酒の芳醇(ほうじゅん)な香りが漂い、酒造店らしい雰囲気を醸し出している。石川県輪島市中心部の古くからの街並みの面影が残る鳳至町稲荷町に、造り酒屋「中島酒造店」がある。

 一昨年の能登半島地震で、四棟の酒蔵のうち三棟が全壊、一棟は半壊した。昨年は、親しい能登町の酒造店で酒造りをせざるを得なかった。二棟と作業棟が再建できた今年は一月六日から仕込みを始めた。三月は今シーズンの新酒のしぼり込みの真っ最中だ。

 作業風景を眺めながら、代表兼杜氏(とうじ)の中島浩司さん(54)は「いろいろな人たちのおかげで、完全復活を果たせた。再び酒造りができたことは奇跡だ」と、安堵(あんど)の表情を浮かべ、吸いかけのたばこの煙をくゆらせた。

 中島さんは「過去に一度酒造りを中断し、復活した造り酒屋は、全国を見渡してもほとんどない」と話す。地震直後、全壊した酒蔵を見た時、中島さんの一番先に頭に浮かんだ言葉も、実は“廃業”だった。

 年間わずか百石(一万八千リットル)余りの小さな造り酒屋にとって、大きな被害だった。再建資金はもちろん、中断による営業面の影響…。絶望のふちに追い込まれた。

 なのに、被災からわずか二、三カ月で復活の道を追い求めようと決断した。後押ししてくれたのは石川県の支援策や古くからの中島酒造の“応援団”だった。

 中でも、首都圏が中心の応援団は、エールを送るだけではなく実際に酒を買ってくれた。しかも、周りの人たちに声を掛け、応援の輪を広げてくれた。大きな励みになった。

 自ら杜氏を務め、「辛口でうまい」との定評を得るまでに仕上げた日本酒。愛着はあるし、伝統の酒蔵の灯を自分の代で消したくないという情熱と意地もあった。中島さんは「これからも決して楽な道ではない。でも、一歩ずつしっかりと酒造りの道を歩んでいきたい」と、静かに意欲を燃やす。 (輪島・石本光)

 

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