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能登半島地震特集

あの日から2年−3・25能登半島地震(2)

自宅の完成を目指して精をだす金間さん(右)と昭子さん=石川県輪島市門前町舘で

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自宅再建 自力に限界

迫る仮設退去、資金難

 「せめて部屋一つだけでも住めるようにしたい」と、石川県輪島市門前町の農業金間(かねま)静夫さん(81)。能登半島地震で壊れた自宅を自分の手で再建している。仮設住宅の退去期限が四月末に迫る。「完成は間に合わない。もう半年、居させてほしい」と嘆く。

 金間さんは妻昭子さん(80)の作った弁当を手に同町舘(たち)の仮設住宅から自宅の敷地に向かう。そこに壊れた家の約三分の一、八十二平方メートルの平屋を建てている。

 作業は毎日休まず六−七時間ほど。壁、屋根はほぼ出来上がり、床もおおかた張り終えた。しかし、内装工事は手つかず。足が不自由な昭子さんのために、バリアフリーにする。手間も掛かる。

 大工仕事は金間さんの趣味で、もう五十年も楽しんできた。とはいえ、再建はプロに任せたかった。資金難からできなかった。

 義援金と行政からの補助の四百七十万円、それに貯金が頼りだった。金は尽きようとしている。年金は二人で月十三万円。生活は苦しい。「手持ちがなくなったら田んぼを売るしかない。買い手があるだろうか」と先を考え、途方に暮れる。

   ◇ ◇

 昭子さんは自宅近くのビニールハウスから作業を見守る。以前はメロン栽培に使っていた。地震から間もなくここで生活を始め、仮設に入ってからも日中を過ごす。

 昭子さんは仮設暮らしの厳しさを「真夏は蒸し風呂みたいな暑さ。壁が薄く、近所の音も聞こえる」と話す。金間さんも同じ気持ち。ストーブ、冷蔵庫、ガス台を運び、日中ならビニールハウスの方が快適という。

 東京や大阪の人がそんな生活を知り、「応援してます。頑張ってください」と励ましの手紙を送ってきた。夫妻は「本当に胸いっぱいになった」と、目に涙を浮かべた。

 被災後の生活は高齢の身にはつらいことが多い。一方で金間さんは「家を建てることが第二の人生。百まで頑張らなきゃ」と生きがいを感じる。昭子さんも「夫は耳が聞こえにくい。私が支えないと」と苦境を力にする。

 (報道部・山根勉)

 

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