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能登半島地震特集

被災地に生きる(3) 日常生活へ一歩 仮設住宅入居始まる

仮設住宅で初めての夜を迎え、駆けつけた娘(左)が準備した夕食を前にくつろぐ住民=28日午後7時10分、石川県輪島市宅田町で(木口慎子撮影)

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食卓に久々のにぎわい

被災地輪島で初

 能登半島地震の被災者約百九十人が避難生活を続ける石川県輪島市で二十八日、被災地では初めての仮設住宅への入居が始まった。同市宅田町と、被害が最も大きかった同市門前町舘の二カ所で入居が可能となり、一部の被災者は早速、家具や荷物を運んで“新居”での生活をスタート。日常を取り戻すための新たな一歩を踏み出した。 (報道部・山内悠記子、小松支局・杉山直之)

 同市内の仮設住宅建設地は四カ所で、宅田町には二十戸、舘地区には三十戸を建設。市内の避難所や知人宅などに避難の計四十五世帯が入居を予定している。

 自宅が半壊した小舘増守さん(77)は、妻たみ子さん(74)が地震で骨折して入院中。ひとまず一人で舘地区に引っ越すこととなり、長女や親せきらが手伝いに駆け付けた。夜は近所の知人らも加わり手作りのおにぎりで夕飯。久しぶりのにぎやかな食事に小舘さんはほっとしたような笑顔を見せたが、「でも、本当のこと言ったら、住み慣れた土地に戻れないのは寂しい」とぽつり。

 仮設住宅はペットも同居可能で、夫婦で舘地区に入る星野六郎さん(76)は県獣医師会のシェルターに預けていた愛犬チビを連れて下見。「そのうち犬小屋建ててやるからな」と語り掛けた。

 同市内の残り二カ所のうち、被災地全体で最大百五十戸が建設された門前町道下地区は三十日から、同市山岸町の五十戸は五月三日から入居が始まる。県は七尾市、穴水町、志賀町を含め計三百三十四戸を建設する。

薄れるきずなに不安も

 地震前は五十戸ほどの家が並んだ石川県輪島市門前町舘地区。地震で壊れた家が多く、すでに取り壊して更地になった土地も目立つ。避難所に移り、以前ほどは見かけなくなった顔もいる。区長の水尻文造さん(83)は、ぽつりと話した。「仮設住宅へ行ってもできるだけ集落の活動が保てるようなことを考えている」

 地区からは十戸余りが仮設住宅へ移ることになった。入居の始まった四月二十八日。被災生活の一区切りにも水尻さんの表情は晴れない。「集落と仮設に別れると『ムラ』のつながりが薄くなるのでは」と心配する。

 もう、その兆候は出ている。地震で地区から十二、三世帯が避難所の門前会館へ移った。住民は生活の立て直しに追われ落ち着くと農作業で手が離せなくなった。距離が離れ、生活の時間に差ができ、顔を合わせる機会が減った。今年の春は長年続いた用水路清掃と春祭りができなかった。

 「なるべく集落ごとに入居したい」。つながりの弱まりを心配するのは水尻さんだけではない。避難所から仮設住宅に行く人たちからもそんな声が上がった。

 「要望は伝えたけど役所の人も一生懸命。あれもこれもと言えない」。地域と役所の板挟みに、水尻さんは表情をゆがめた。今は仮設住宅に地域の活動を取り仕切る班を設け、集落のつながりを保とうと考えている。

   ◆  ◆

 阪神大震災では、仮設住宅で暮らす人たちの孤独死が大きな問題になった。その経験から、新潟県中越地震では、集落ごとに仮設住宅へ入居させ、被災者同士のつながりを残そうとした。

 輪島市も集落が分散しないように取り組んでいる。数人しか入居しないような小さな集落も、いくつかまとめて仮設住宅に入ってもらい、区長のようなリーダーを置くことにしている。

 ただ、元の集落と仮設住宅の関係をどう残すかになると、まだ策は見えてこない。市は「何らかのとっかかりを考えなくては」と頭をひねる。

 新潟県中越地震で、仮設住宅の見守りなどに取り組んだ同県長岡市社会福祉協議会の本間和也さん(37)は「仮設住宅で暮らす人と地元の人との関係を保つには、地域がもっているコミュニティーの力をもり立てる支援が必要になってくる」と強調する。

 ◇孤独死◇ 1995年1月の阪神大震災では、仮設住宅の入居者が2000年1月にゼロになるまでに、孤独死で233人が亡くなった。その後、被災者向けの公営賃貸住宅(復興住宅)では、7年間で462人が亡くなっている。04年10月の新潟県中越地震では、その教訓から集落ごとの入居などを行い、大幅に抑えられた。05年3月に亡くなった無職男性が同地震初の孤独死とみられている。

 ◇記者の目◇ 被災者が待ち望んだ仮設住宅への入居が始まった。輪島市では約二百四十世帯が入居する予定だ。仮設住宅は避難所と違い、ある程度のプライバシーは守られるため被災者のストレスは大きく減るだろう。

 しかし、入居はゴールでなく、自宅へ戻るための始まり。最長二年になる長い道のりをどう歩むのかが大きな課題だ。

 被災者にとって、多くの人たちの助けは心強く感じるだろう。行政やボランティア、地域の仕事と枠を決めるのではなく、お互いが連携し、仮設住宅の住民と手を取り合い、歩むことが重要ではないか。 (小松支局・杉山直之)

 

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