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能登半島地震特集

被災地に生きる(2) 高齢者 身を寄せ合う

地震直後と違い、ガランとした避難所で過ごす川上ちよさん(右)=石川県輪島市門前町の諸岡公民館で(木口慎子撮影)

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■避難所

退所後の孤独 懸念も

 午後五時半。大広間に夕食を知らせる担当者の声が響いた。十人ほどずつが長いテーブルの両側に正座し、手を合わせた。「好き嫌いがないから、いつも全部食べる。ありがたい」。その中の一人、石川県輪島市門前町の川上ちよさん(87)は何度もうなずき、紙皿に盛られた白身魚のフライ、小松菜と油揚げの煮物をほおばった。

 川上さんの自宅は、地震で家財道具がすべて倒れた。部屋は液状化現象による泥水があふれた。独り暮らしの川上さんは近所の諸岡公民館に身を寄せた。

 約百六十五平方メートルの大広間は三百人余でごった返し、横になることもできなかった。暖房も十分でなく、夜は真冬のように冷え込んだ。断水のため、当初はトイレすら満足に使えなかった。

 日がたつにつれ、仮設トイレが設置され、支援物資が届くようになった。余震が減るとともに避難者は減った。今は四十人を切り、生活環境は大きく改善された。

 川上さんは大広間の真ん中を自分の居場所に決め、仲が良い友人と暮らす。「何も不自由しとらん。本当にもったいない」。避難所生活に感謝の言葉を並べた。

 川上さんの自宅では、栃木県から駆けつけた長男真悟さん(48)が「自宅へ戻りたい」と願う母のために大工道具を握っていた。しかし、そこで一人、眠る母を想像すると「買い物に歩いて行く元気が出るかなあ」と胸が痛む。

   ◆  ◆

 諸岡公民館では三月二十五日の地震発生から四月上旬まで、館長や職員、地元区長らが常駐し、避難者を支えた。今も仕事を終えた市職員が泊まり、気を配る。他の避難所も同様に取り組む。

 六十五歳以上が50%に迫る門前地区をはじめ、どこの避難所も高齢者が目立つ。しかし、エコノミークラス症候群など震災関連死は一人も出ていない。関連死が五十一人の新潟県中越地震と比較し、多くの関係者が驚く。

 四月初旬には一部の避難所で感染性胃腸炎が発生。早期の治療、手洗い、うがいなどで拡大を食い止めた。今は仮設住宅に移った後が課題と見る人が多い。諸岡区長会会長の泉靖郎さん(73)は「避難所で共感できる人たちに囲まれ、寂しさに気が付いていない人もいるのでは」と心配する。

 ◇避難所◇ 能登半島地震が起きた直後は石川県輪島、七尾、穴水、志賀の2市2町の公民館や小学校、保育所など計47カ所に開設され、合わせて2700人近くが自主避難した。余震が落ち着き始めた5日目を過ぎると避難者は約半数になり、1カ月後には10分の1以下に減った。28日からは輪島市の一部で仮設住宅の入居が順次始まり、大型連休にかけて、避難者はさらに減少する見込み。

 ■記者の目■

 めちゃくちゃになった家を残したまま、避難所で過ごす日々は負担だろう。自宅よりずっと高い天井の下、目を閉じる夜は不安だと思う。

 一カ月余りがたった。高齢者同士が支え合い、避難所の公民館職員らが気を配る雰囲気は震災直後と同じ。「命を助けてもろた」という声も聞こえた。どこにも負けない地域のきずながあった。川上ちよさんとは何度も顔を合わせ、「つらさは自分だけやない」という言葉を何度も聞いた。「安倍総理大臣と『頑張るわね』と握手した。約束を破るわけにはいかんでしょ」。そう耳打ちした笑顔が忘れられない。

 (報道部・前口憲幸)

 

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