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能登半島地震特集

被災地に生きる(1) 足りぬ人手 パニック寸前

地震直後の混雑が収まり、日常を取り戻した施設=石川県輪島市門前町の特別養護老人ホーム「あかかみ」で(木口慎子撮影)

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 石川県輪島市を中心に死者一人、けが人約三百二十人、民家の損傷一万二千軒の被害を出した能登半島地震は、三月二十五日午前九時四十一分の発生から一カ月余りが過ぎた。いまだに約二百六十人が避難所生活を強いられるなど、高齢者が多い過疎地域を襲った地震のつめ跡は大きい。地震発生以降、医療介護や地場産業、観光などさまざまな分野で、復興に向けた足取りを追った。 

介護施設

応援態勢整備が急務

 数十秒の激しい横揺れで事務室の書棚が倒れ、床に書類が散乱した。つながりにくくなった電話が時折鳴り、「家では生活できない」「片付けが終えるまで預かってくれ」と訴えてくる。石川県輪島市門前町の特別養護老人ホーム「あかかみ」。やがて、助けを求める高齢者が次々と訪れた。

 野竹喜美子さん(85)もその一人。独居の不安から、日ごろ利用しているあかかみを思いついた。「はよ、迎えに来てー」。電話で伝えると職員が駆けつけた。「うれしくて、うれしくて」。振り返り、目に涙が光る。

 あかかみは震災当日の三月二十五日、ショートステイで定員と同数の二十人を受け入れ、入所者は三十四人になった。特養の入所者分と合わせ、百十三のベッドを食堂に並べた。余震が続く中、入所者は不安な二晩をそこで過ごした。

 約四十人いる介護職員の多くも被災した。事務長の森下進さん(43)は当日夜は帰宅できず、近くの公民館で過ごした。被害が大きかった職員は出勤することができなかった。

 定員オーバーなのに足りない人手。食事やおむつの世話が三十分、一時間と遅れた。パニックになりそうなのを職員は必死にこらえた。

 急場をしのげたのは、水道が止まったので受け入れができなくなったデイサービス担当の職員が応援したためだった。ただ、デイサービスの受け入れを断った時、職員は「申し訳ない気持ちでした」と胸が痛んだ。

   ◆  ◆

 地震から一週間後、県の依頼に応えた輪島市内外の五施設が三月三十一日から四月六日までの間、延べ七十一人の職員をボランティアで派遣した。輪島市は四月二日から、介護保険サービスの減免措置を取り始めた。あかかみもそのころから落ち着きを取り戻し始めた。

 「被災直後の一週間が最も大変なのに、応援が遅い」。新潟県中越地震で被災した特養ホーム園長の小山剛さん(52)は対応を批判する。小山さんは被災地支援の活動にも取り組んでいる。

 新潟県中越地震では、交代要員が足りず、不眠不休で働く職員が続出した。小山さんはその経験から「医療は発生直後に他地域が応援する。介護もそういう態勢を整える必要がある」と力説する。

  輪島市の介護サービス減免措置  輪島市は4月2日から自宅が半壊以上の高齢者を対象に介護保険サービスの利用料の減免措置を導入した。8月31日までの介護サービス料の利用者負担を全額免除、ショートステイの食費と居住費は半額免除にする。

記者の目

 弱者を支援する人が自ら被災したらどうするのか。能登半島地震では、この点が十分に考えられていないと分かった。今回はそれぞれの介護職員の尽力や、無償で駆けつけた応援職員の力で乗り切りつつある。だが、被害がより大きく、助けが必要な人がより多かったら、どうだったか。

 災害時に介護や福祉施設を支援するシステムを整えた自治体はなく、茨城県だけが整備を検討し始めたという。教訓を生かしてもらいたい。 (報道部・伊藤弘喜)

 

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