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能登半島地震特集

3・25能登半島地震 発生から半月余(1) 『日常』奪われた高齢者

改修したわが家が…生活一変

 三月二十五日に発生した能登半島地震は、北陸地方で大きな被害を出し、震源に近い石川県では死者一人、重軽傷三百九人、全半壊の家屋は一千三百棟余に及んだ。ピーク時には二千六百人余が避難所生活を送り、二週間余が過ぎても約三百五十人が残る。今のところ、エコノミークラス症候群など新たな震災関連の死者はなく、新潟県中越地震などの教訓が生きた格好だ。最も被害が大きかった輪島市門前町は、ほぼ半数が六十五歳以上の高齢者。必要な介護が受けられない人がいたことなど、高齢社会が災害に直面した時の課題が浮かんだ。(北陸本社報道部・伊藤弘喜、高橋雅人、加藤裕治)

夫の一男さん(右)がデイサービスに行く前に、身支度を手伝う的場きりさん=石川県輪島市門前町浦上のあすなろ苑で(泉竜太郎撮影)

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認知症の夫と避難所暮らし

輪島・門前の的場さん 「仮設住宅を」涙で土下座

 畑に植えたサツキに肥料をやろうとした時だった。西の山に隠れた海の方から「ゴー」と低い地響きのような音が響いた。すぐに地面が波打ち、的場きりさん(73)=輪島市門前町猿橋=は右肩から倒れた。畑の近くにあるブロック塀がバタバタと崩れる光景が目に映った。三月二十五日午前九時四十一分。能登半島地震が的場さんの生活を一変させた。

 自宅に残した夫一男さん(74)が頭に浮かんだ。畑から十分ほど離れた家に向かい、山道を無我夢中で走った。前から一男さんが歩いてきた。

 「うち、どんながになっとるが」「知らんわい」。認知症を患う一男さんはきょとんとした様子だった。

 夫婦は月十三万円ほどの年金で暮らす。その中からこつこつとためた金で、五年前に自宅を改修した。地震はそのわが家を破壊した。

 瓦ははがれ、家の土台に亀裂が走っていた。土足のまま家に上がると、食器や置物の破片が床を埋め、揺れの衝撃で噴き出した消火器の中身が室内を白くしていた。浴室の壁ははがれ落ち、新設したばかりのボイラーに覆いかぶさっていた。

 ぼうぜんと立ちつくす。やがて、駆け付けた市職員の車に乗せられた。到着した避難所の門前会館には、まだだれもいなかった。

地震で壁に亀裂が入った的場さんの自宅=石川県輪島市門前町猿橋で

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 突然始まった避難所生活。的場さんは多くの悩みを抱える。その一つが、一男さん。認知症の症状は四年ほど前に表れた。長年、使っていた耕運機のエンジンをかけられなくなったり、車を止めた場所を忘れたりした。神戸へ出稼ぎに行った際、阪神大震災に被災したことも思い出せない。

 一番、てこずるのは一男さんのトイレ。ある夜、避難所で知人がそっと耳打ちした。「廊下にいるのは、あんたのところのじいさんじゃないかね」。廊下に出てみると、一男さんが尿を漏らしていた。トイレの場所が分からなかったようだ。以来、夜は一男さんと自分の足をひもで結ぶことにして、すぐに起きられるようにした。

 夜中、何度も用を足したがる一男さん。そのたびに、的場さんは、寝ている人たちの間を縫って外にあるトイレへと向かったが、途中で漏らしてしまわないか気が気でなかった。

 また、一男さんは、数年前に小腸の病気を患い、三日に一度、かん腸をしないと便が出ない。避難所の狭いトイレでは一男さんが用を足すのを思うように手伝うことができないことも心労をつのらせた。

 「一日でも早く仮設住宅を造ってください。どうか助けてください」。地震から二日後の三月二十七日、的場さんは両手をつき、土下座した。

 相手は内閣府の平沢勝栄副大臣。門前会館を視察で訪れた。的場さんは平沢副大臣が部屋に入るや駆け寄った。不安を訴える言葉が涙とともにあふれ出た。平沢副大臣はあっけにとられた表情で「わかった、わかった」と繰り返した。

 トイレの心配が尽きない避難所を二十八日で離れ、自宅に戻った後、一男さんのケアマネジャーの勧めで、高齢者保健福祉施設の個室に移ることができた。デイサービスにもこれまで通り、週に一回、一男さんを頼めることが分かりホッとした。

住み慣れた地 離れたくない

 ただ、的場さんも健康に不安を抱える。五年前に直腸がんの手術を受けた。完治はしたが、一男さんの面倒をいつまで見られるか心配する。それでも「住み慣れた門前を離れたくない。県外の子どもたちに面倒はかけたくない」と希望する。

 どれくらいの間、今の施設にいられるか分からない。仮設住宅に入居できる保証はない。自宅は旧知の大工から「建て直した方がいい」と助言された。しかし、費用は工面できない。

 先々の不安は募る一方だ。今は損壊が少なかった納屋に移り住もうと考え、畳四枚とふとん一式を運び込んだ。「畑仕事が続けられたら、何とかなる」。的場さんは、そう決心しつつある。畑の一角では、地震の前に的場さんがまいたカボチャが芽をのぞかせていた。

 

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