トップ > 北陸中日新聞から > 能登半島地震特集 > 記事一覧 > 4月の記事一覧 > 記事
能登半島地震特集倒壊続出の文化財 『必ず復興してみせる』
七尾 山の寺寺院群能登半島地震で被災地の神社や寺院が倒壊、破壊したことにより、文化財などが危機にさらされている。七尾市の人気観光スポット「山の寺寺院群」では前田家ゆかりの由緒ある墓などに被害が出たほか、輪島市の寺では市指定文化財の釣り鐘が鐘楼の下敷きになるなど、地震のつめ跡を残している。 七尾市の「山の寺寺院群」では十六ある寺院のほとんどで、本堂の一部が崩れたり、墓石や石灯籠(どうろう)が倒れたりした。加賀藩祖・前田利家の両親の墓も被害を受けた。前田家の菩提(ぼだい)寺の曹洞宗長齡寺には、初代藩主・利家の両親の墓がある。直径二メートル、高さ八十センチの土まんじゅうに直径三十センチの丸い石が二つ据えられていたが、地震で墓石が一つ転がり、玉垣の一部が倒れた。 同寺の坊守大橋美子さん(40)は「自然災害なので仕方ない」としながら、「修復を検討していきます。重要文化財である前田利春画像の複製画など宝物は無事なので、復旧したらぜひ観光客に見に来てもらいたい」と話した。 寺院群には、目や耳の病気などを治す効果があると伝えられる地蔵がいくつもある。歯直し地蔵尊で有名な浄土宗宝幢寺(ほうどうじ)では、三十三代住職の高田光彦さん(65)が「言葉が出ない」と唇をかみしめた。歯直し地蔵尊十二体は軒並み倒れ、頭が取れてしまったものもある。檀家(だんか)の墓石約百基は倒壊した。「早く地蔵を直したいけど、まずお墓を直さなければ」と語った。 七尾市観光ボランティアガイド「はろうななお」の大崎内蔵之介さんは(74)は「破壊された寺を見ていると悲しくて涙が出そうになる。早く直してもらいたい」と言う。 七尾市観光交流課は「大事な観光資源が破壊されて非常に残念だが、市としては資金面では復興の援助はできない。寺を管理するのは寺院なので、PRなどできることを協力したい」と話した。 (増井のぞみ) 門前 専徳寺の鐘楼
輪島市門前町では、地元の人たちに親しまれてきた多くの寺院が破損した。その一つ、専徳寺では鐘楼が倒れ、市指定文化財の釣り鐘が下敷きになった。寺独自の資金で再建することは難しい状態。しかし、門徒には被災者も多く、住職吉岡俊雄さん(71)は「浄財はとても頼めない。どうすればいいのか」と苦渋の表情を浮かべる。 寺では鐘楼のほか本堂や石灯籠(どうろう)、土蔵も全壊または半壊した。中でも深刻なのが全壊した鐘楼。屋根が完全に落ち、釣り鐘がかろうじて見える程度だ。いずれも再建のための費用のめどは立っていない。 釣り鐘は一六九四(元禄七)年に建造され、一九八九年に旧門前町(現輪島市)の文化財に指定された。除夜の鐘や、彼岸、お盆などで必ずつかれ、地元住民にとってなじみ深いという。 普段なら再建に協力する門徒は約二百七十人。ただ、約八割が年金で生活する六十五歳以上の高齢者。うち約四十人は避難所生活を続けている。吉岡さんは「口が裂けても援助してくれとは言えない」と話す。 すでに、元通りの鐘楼を建て直すことはあきらめかけている。それでも「粗末な鐘楼になっても釣り鐘をつける状態にしたい。せめて、撤去費用を補助してもらえないか」と訴える。 輪島市内には国、県、市指定の文化財約二百九十件がある。市などで三月二十六日から国、県の文化財を中心に被害調査を進め、今後、市文化財の調査も本格化させる。 建物撤去の費用負担について、輪島市の方針はまだ決まっていない。市災害対策本部は「できるかぎり被災者に負担を強いないようにしたい」と被害把握を進めている。 (対比地貴浩)
旧富来・笹波 藤懸神社の拝殿拝殿が全壊するなど大きな被害を受けた志賀町(旧富来町)笹波の藤懸(ふじかけ)神社で近く、再建に向け、地区役員らによる会議が開かれることになった。平田篤宮司は「時間はかかると思うが必ず復興してみせます」と自らと被災住民を励ますように話した。 文書によると、神社は元明天皇和銅七年(七一四年)に開かれたとされる。 平田宮司によると、地震の発生で鳥居は倒れ、拝殿はつぶれた。拝殿の中には、おととし、修復したばかりのみこしが置かれているが、状態は確認できていない。本殿の一部も崩れ、こま犬や灯籠(とうろう)も倒れた。県天然記念物に指定されている社叢(しゃそう)は難を逃れた。 これまでに神社本庁から役員が視察に訪れ、現状を把握。平田宮司は「これ以上損傷しないように瓦を一枚一枚運ぶ作業が必要になる」とし、作業は神社庁の応援や地元笹波区の人たちの協力を求める。「復元できるところは極力復元し、ご奉納者の心に沿いたい」と話している。 藤懸神社のある笹波地区では今も集会所に十三人が自主避難。集積場にごみを運んでいた男性(70)は「私らの年代にとって楽しみと言えば祭り。神社が修復されればうれしい」と話した。 (小塚泉) 七尾市の山の寺寺院群 全長約2キロの遊歩道で結ばれた5宗派16の寺院群。1582(天正10)年、前田利家が七尾の平地に建てた小丸山城を防御するため城の周囲に寺院を集めさせた。当時は29の寺があったという。散策コースにもなっていて年間約1万人の観光客が訪れる。
|