7月7日
<ピッチの余韻 藤島大>美しい線のように
タクシー会社に勤める友人が言った。
「やっぱりW杯はすごい」
なぜそう感じた?
しばしば業務で職場を訪れる損保会社の女性社員の口ぐせは「ところで別件なのですが」。それがこうなった。「ところでベッケンバウアーなのですが」
往時の西ドイツ(ドイツにあらず)の名選手である。どうやら彼女はそれなりの年齢のようだ。
ある食堂、近くに座ったグループの会話もよかった。「W杯、みんな雑」。FKの壁の前にスプレーで引かれる線のことだ。「日本の審判はもっとまっすぐ」
こういう観察はサッカーそのものの考察とも結びつく。
日本代表は、すぐに消える線をなるだけ美しく引く民の象徴である。その分、細事を放る野性に欠けるところがなくもなかった。しかし、この大会の大迫勇也や原口元気はふてぶてしかった。農耕に気を配りながらも狩猟に飛び出す覇気をたたえた。
さてベルギー戦の結末。あの失点の直前、やけに不安を覚えた。試合を通して、CKを防がれた直後の切り返しに危険の芽は吹いていた。ここは延長戦含みで高速カウンターを浴びぬ布陣とボールを。つい「ドーハの悲劇」がよみがえる。日本サッカーの長き冬を知る者は臆病なのだ。
それにしても、ベルギーのGK、ティボー・クルトワの捕球後の手によるフィードは見事に繊細だった。ボールは生き物のごとく、優しく正確に転がった。日本の審判が引く線のように。 (スポーツライター)

