7月5日

<西野ジャパンの奇跡と軌跡>(2)控え本田の変身と献身

 敗退が決まった翌日の3日。キャンプ地カザンの取材エリアを本田がゆったりした足取りで通り過ぎた。現地最後の取材に感極まる選手も多かったが、「昨日しゃべったんで」と沈黙。我流を貫く本田らしい対応だった。「最後のW杯」と語った今回、本田が見せた精神面の成熟とチームへの貢献に疑いの余地はなかった。

 「圭佑はだいぶ柔らかくなった。みんなの意見を受け入れる。スポンジみたい」。長友も変化を感じとっていた。

 大会直前、トップ下のスタメンの座を香川に奪われた。そこから、腐るどころかチームプレーヤーとして真骨頂を発揮し始めた。ピッチサイドで仲間に指示を与える姿は「第二の監督」のよう。相手の弱点を詳細に分析して仲間に“パス”。無得点だった原口に「次は得点を狙っていかないといけない」とゴールを指令し、実現させている。

 自身は3試合で途中出場し1ゴール、1アシスト。「サッカー人生で、サブにこれだけ前向きに取り組んだことはなかった」と本田は漏らした。

 4年前の前回、本田は「攻撃サッカー」を掲げ優勝を狙うと宣言。チームを鼓舞したが、初戦で逆転負けすると張り子の自信はもろく崩れ、1勝もできずに終わった。翌年のアジアカップでは準々決勝敗退。世界どころかアジアでも強豪の地位は揺らいだ。

 主力の本田と長友はある夜、宿舎で手倉森誠コーチの部屋を訪れた。「テグさん、あの弱かった仙台をどうやってJ1で2位までもっていったんですか」

 被災地に希望を与えようと団結した経験を語った手倉森コーチは逆にただした。「お前たちはブラジル大会のとき、本当に団結できていたのか」

 独り善がりにチームを引っ張るのでなく、全体を納得させてまとめなければ、強豪相手に勝つのは難しいと気付いた。

 前回W杯からの4年で、強烈な個性と調和の心を絶妙に溶け合わせた本田は「誰に何と言われようが優勝と言い続けられるヤツが次の代表を引っ張っていく」と語った。第二の本田を見つけることが、次の4年で日本サッカーに課せられた使命だ。 (垣見洋樹)

中スポ 東京中日スポーツ

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