7月4日

<西野ジャパンの奇跡と軌跡>(1) 空中分解寸前まで待って 大会直前に動いた

 西野監督率いる日本代表は開幕前の低評価を覆し、16強入りを果たした。準備期間の短さなどを問題視され、W杯開幕前の強化試合でもなかなか結果が出ないなど、迷走したチームはどう立ち直り、2大会ぶり3度目の“快挙”にたどり着いたのか。その原動力とは。また、8強の壁を越えるために今後の課題となるのは何かを検証する。

      ◇

 空中分解の危機にひんしていた。W杯初戦まで残り2試合となってもまだ、戦い方は定まっていなかった。0−2で敗れたスイス戦(6月8日)の2日前。チーム方針が固まらない中、西野ジャパン発足後、初めて選手間ミーティングが開かれた。危機感からの行動だったが、空転した。

 長友、本田ら2008年北京五輪世代が「前からいく」と言えば、酒井宏、山口ら12年ロンドン五輪で4強入りした世代からは「後ろでブロックをつくろう」と言う。その他の欧州組は各クラブでのやり方を出すなど、それぞれの成功体験を語るばかりで、終着点が見えないまま終わった。眉間にしわを寄せ、「どうすればいいか分からない」とこぼす選手もいた。

 だが、これが西野流。柏と名古屋で強化本部長、GMとして西野監督を支えた久米一正(現清水GM、62)は“予言”していた。「何も言わないで待つ。周りが動くまでね。普通なら動きたくなるけど、待つ。そこがすごさ」。監督から選手の一方通行だった前監督時代にたまっていた、選手個々の思い、考えをまずは全て吐き出させた。意見をぶつけ合う選手を観察し、雨降って地固まるときを待った。

 W杯開幕前最後の試合となったパラグアイ戦(同12日)の前日。西野監督がついに動いた。出尽くした選手の意見を参考に最適な戦術、戦略を導き出した。4−5−1布陣を基本に、プレスをかける位置など細かい指示も出した。

 突出した経験値の高さで、どこか孤高の存在だった本田は盟友・長友が“チーム”に引き入れた。「戦える体があって、走れる足があって、プラスアルファで経験。経験だけではチームを勝たせることはできない。(ベテランの俺たちも)まだまだ走らないといけない。ミスも減らしてくれ」と説き伏せた。

 勝負の世界では勝利こそ妙薬。パラグアイ戦に勝ったことで、戦い方にも迷いが消え、一気に結束力が生まれた。混沌(こんとん)を意図的に生み、一気に固める。「待つ」西野流のマネジメントがはまった。ベスト16に進む原動力は、空中分解寸前の状態から生まれた。

  (占部哲也)

中スポ 東京中日スポーツ

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