トップ > 北陸中日新聞から > 能登半島地震特集 > 記事一覧 > 9月の記事一覧 > 記事
能登半島地震特集3.25能登半島地震から1年半(1) 仮設使用期限まで半年余 生活再建どうするか
能登半島地震から一年半が過ぎた二十五日。強い揺れで住む家を失った被災者のために石川県輪島市と七尾市、穴水町、志賀町の四市町に建てられた仮設住宅は、二年間の使用期限まで、あと半年余りに迫った。入居者数は約四百人と、ピーク時からほぼ半減。義援金や行政の支援もあり、ほとんどの入居者は次の行き先のめどがついた。しかし、将来への不安を抱えたまま、新居へと移る人も多い。 (報道部・福田真悟) 自宅は建てても白色の四角いプレハブがずらりと並ぶ中、男性(61)がすっかりしおれた玄関先のヒマワリを抜いていた。「本当は長く住み慣れた土地のほうがいいんだけど」とつぶやく。 被災当時、男性は妻とともに自宅の離れで干物作りをしていた。その離れと自宅が地震で全壊。輪島市門前町道下(とうげ)地区の仮設住宅に入った。退去まで半年余。生計を立てるすべを失った男性は、仕事を見つけるために地元を離れようかと考えている。 義援金は出た。しかし、「車のローンもあり、家を建て直すので精いっぱい」。それだけで生活を立て直すことはできない。借金して干物を作る作業所を建てても、思うように売れる保証はない。年齢と、数年前に痛めた腰。地元では、条件の合う仕事が見つからなかった。 年金の支給が始まる四年後まで、どう生活するかと悩み始めた時、県外に住む長女(27)から「こっちに仕事があるかも」と電話があった。 「地震前は、娘がそろそろ石川に戻ってきて一緒に暮らそうかなと話していたのに、全く逆の立場になってしまった」。男性は自嘲(じちょう)気味に話した。 ◇ 同じく道下地区の仮設住宅に入る主婦(47)は被災後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)のような症状に悩まされ続けている。大きな音がすると跳び上がるほど驚いてしまうという。 五十世帯ほどが住むこの主婦の集落から、仮設住宅に入った世帯はほかにはなかった。そのせいか、周りに同様の症状に悩む人は見当たらない。 「何でみんなそんなに強いのだろう」。同じ経験をした地震でも思いを共有できない。周囲との違いに苦しんできた。 仮設住宅での生活にもストレスが募った。「夫婦が入る世帯で2DKだから、十分な広さと思うかもしれない。でも、住宅同士の距離感とか、雨が屋根を打つ音の大きさとか住んだ人にしか分からない苦労がある」と声を振り絞った。 主婦は、壊れた家を再建し、間もなく戻る。「仮設住宅に住んでいる限り(昨年の)三月二十五日から進めない」と退居を素直に喜ぶ。しかし、一抹の不安も抱えている。「本当に三月二十五日から時間が動きだしてくれるのだろうか」 ◇ 石川県の四市町にある仮設住宅の中で、最も多い百五十戸が集中する輪島市門前町道下地区。九月中旬で入居していたのは六十八戸。ほぼ満室だったピーク時の三分の一近くになった。 道路に車があふれんばかりだった駐車場には空きが目立ち、郵便受けにチラシが大量にたまった棟もある。二年の入居期限が終わるのを前に、ほとんどの入居者は着々と行き先を決めている。それでも将来への不安が消えたわけではない。 能登半島地震 能登半島沖を震源に、2007年3月25日午前9時41分、マグニチュード(M)6・9の地震が発生。石川県内を中心に強い揺れになり、県内の観測史上最大となる震度6強(輪島市、七尾市、穴水町)を記録した。人的被害は死者1人、重軽傷者338人、住宅被害は全壊686棟、半壊1740棟(16日現在、県調べ)。
|