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能登半島地震特集二度目の夏−能登の被災地から(6) “天の声”で再出発
守りたい塗師屋の看板輪島塗の塗師屋、坂下光宏さん(46)=坂下漆器店主=は昨年七月から、震災で壊れた石川県輪島市河井町の自宅・工房を離れて、同県穴水町鵜島にある妻美佐子さん(46)の実家に身を寄せている。今は間借りの六畳一間が作業場だ。 昨年三月の能登半島地震は一家四人の生活を一変させた。築百年を超す木造家屋は柱が折れるなど大規模半壊。工房として使用してきた土蔵も全壊した。 不幸は重なった。震災から四日後、父利雄さん(享年七十九)が死去。葬儀を済ませる間もなく、自宅や土蔵の修復に追われた。 今の仕事場は、三十畳あった従来の仕事場と比べると手狭だ。でも、仕事ができる喜びには代えられない。 地元の高校を卒業後、ずっと輪島塗の仕事に携わってきた。地震をきっかけに、同世代の仕事仲間が輪島塗の職人を辞め、先輩が工房の再建をあきらめた。「自分まで辞めてしまったら、誰が残るんだろう」 そうした思いでいたころ、決意を後押しする注文が舞い込んだ。手提げ重の修理。それは祖父の故増太郎さんの手による輪島塗だった。 重は百年ほど前に作られ、輪島からパラオに渡り、今は東京在住の人の手元にあった。重の角が欠けてきているが、補修すればまだまだ使える。 「祖父は私が三歳の時、七十歳で亡くなりました。正月までには何とか直してあげたい」と坂下さん。三代続く塗師屋の看板を下ろすなとの“天の声”にも思える縁だった。 自宅も土蔵も取り壊して建て直すのではなく、修復する方法を選んだ。年内には自宅に戻り、再び輪島で仕事を再開したいというのが一家の願いだ。 震災から二度目の夏、坂下さんは「あっという間だった」と慌ただしかった日々を振り返り、今は再建への思いがひしひしと高まっている。 (穴水通信部・島崎勝弘) =終わり
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