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能登半島地震特集二度目の夏−能登の被災地から(4) 祭り 絶やさない
復興をPR 地域の力にド、ド、ドン−と子どもが太鼓を打ち鳴らす。震災で住宅の倒壊が集中した石川県輪島市門前町道下地区で七月三十、三十一の両日、地元の氏神をまつる夏季大祭が催された。祭りを指揮するのは曳山(ひきやま)保存会長の荒木克章さん(69)だ。 「今回は二年ぶりの祭り。元気良くたたいて復興をPRし、親や兄弟、地域の人の力になりましょう」と、お囃子(はやし)の子どもたちに声をかけた。「アラさん」と子どもたちから呼ばれ、親しまれる荒木さん。 祭りとのかかわりは三十七年前、首都圏での会社勤めを辞め、Uターンして間もなくだった。木工技術を生かして傷んでいた曳山を直し、祭りの面倒をみているうち、十年後には保存会長に就任した。 「若者に伝統行事を伝えないと」との思いは強まり、二十数年間、手作りのミニ曳山を保育所に寄付したり、地元小学校の「伝統文化教室」で太鼓を教えに出向いたり。子どもたちは「元気で楽しいおじいちゃん」となついた。 そんな時に襲われた昨年三月の能登半島地震。納屋は全壊、母屋は一部損壊となった。地区内の被害も甚大で、役員会では夏祭りの中止が決まった。 「伝統の祭りが途切れてしまうのか…」。子どもの太鼓教室も開けなくなり、荒木さんは気落ちした。それを救ったのは震災から約三カ月後、子どもたちからのひと言だった。「アラさん、太鼓がしたいんだけど、いつ始めるの」 昨年七月から、地区内の木工作業所で教室が再開された。週に一日、夕方から再び、お囃子の太鼓練習の音が響き、小学生の笑い声が巻き起こった。「もっと強く」「早く交代しなさい」。一年後の夏季大祭に向けて、荒木さんは声を張り上げた。時に輪に加わり、厳しく注意しながらも、子どもを見つめる目は柔和でいとおしげだった。 祭りの後、荒木さんは「年寄りも若者も、もっと積極的にならないと祭りは保てない」と厳しく言う。地区が困難に直面したからこそ、の思いがにじむ。でも、子ども太鼓の話になると、目は優しい「アラさん」に戻っていた。(能登通信部・上野実輝彦)
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