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能登半島地震特集二度目の夏−能登の被災地から(1) 80歳の自力再建
自宅で妻と暮らしたい刺すような真夏の日差しの中、金間静夫さん(80)=石川県輪島市門前町舘=は、金づちを片手に、再建中の自宅にひさしを取り付けていた。 昨年三月二十五日の能登半島地震。生まれ育った築八十五年の母屋が、敷地内の納屋や蔵とともに全壊した。 母屋は、震災の半月前、趣味の大工仕事で、約十五年かかった改修を終えたばかり。右足が不自由な妻昭子さん(79)との快適なついのすみかにと、約五百万円かけ手すりをつけたり段差をなくすなどした直後だった。ショックで数カ月は落ち込み、昨年五月から仮設住宅に入った。 県外の子ども二人から同居の誘いもあったが、昭子さんの励ましもあり、静夫さんは次第に「小さくても良い。畑もあり知人に囲まれ、のんびり生きていけるこの故郷で暮らし続ける」と再建を決意。 正月から、夜になると二人で設計図を練った。十畳の台所兼居間、二部屋(八畳)などバリアフリー対応の平屋建てにしようと決めた。広さは以前の約三分の一だが、「先にどっちが欠けても快適に生きていけるように」との思いを込めた。 再建費用は約一千万円だが、二人で月約十三万円の年金生活。半額を国や県などの補助金と義援金で賄い、残りは、貯金を切り崩すなどし、持ち前の手先の器用さを生かして自分で建てることにした。 ことし五月には棟上げを終え、静夫さんは現在、業者に依頼した基礎と柱建て、瓦ぶきが完成した現場で、壁板を張るなど、一日六時間、作業に打ち込む。昭子さんも毎日同行し、自宅のビニールハウスで見守る。 「仮設住宅は、蒸し風呂のような暑さで、段差もあって刑務所のよう。一刻も早く出たい」と昭子さん。静夫さんは「今は百歳まで生きて、頑張る元気が出てきた。八十にして第二の人生。来年四月末の仮設退去期限までに一部屋だけは完成させたい」。 (報道部・山内悠記子) ◇ 能登半島地震から一年四カ月。二市二町の仮設住宅には今も二百十五世帯、四百九十六人が暮らしている。来春の仮設退去を前に、明日の暮らしでそれぞれの決断を迫られる。二度目の夏を迎えた被災者を訪ねた。
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