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能登半島地震特集仮設の暮らし 再建遠く
穴水「もう三匹目やぞいね」。地震から一年となる朝。自宅を失った人たちが暮らす穴水町大町の仮設住宅。一人暮らしの女性(66)が、ことしに入ってすみ着いたという灰色の猫に、笑顔で餌の煮干しを与えていた。 「去年の今ごろどうしとったいね」。同じ仮設住宅の入居者二人とともに世間話が始まった。 女性は夫とともに同町川島の自宅を離れ、羽咋市内で二十五年ほど左官業を営んだ後、再び穴水に戻った。夫は五年前に亡くなった。子どもはいない。自宅は地震で全壊した。 午前九時四十一分、地震から一年を伝えるサイレンが鳴り響き、女性の顔から笑みが消えた。「防災意識を持って、それぞれの地域や職場で万が一に備え、活動を行っていただきたいと思います」。石川宣雄町長のメッセージが防災無線から流れた。 さら地にした自宅跡地に自力再建を目指しているが、具体化はまだこれから。「二年あると思って仮設に入ったけど、もう三月やがいね。年明けから気持ちは焦っとる。寝とっても家のことばかり考えとるし、ノイローゼになりそうや」 穴水の仮設住宅には今なお三十世帯五十九人が暮らす。入居者にとって待ったなしの一年が始まる。 (島崎勝弘) 門前輪島市門前町道下(とうげ)の仮設住宅では、敷地内を出歩く人はほとんどおらず、節目を迎えた時も普段と変わらない様子だった。 仮設住宅で家事をしていた八十代の女性は、防災無線の合図で目を閉じて手を合わせた。息子らとともに道下地区で自宅を再建中といい「あっという間やった。建て直せるのはありがたい」と振り返った。 一方、鹿磯地区の自宅が全壊した女性(81)は「リフォームしたばかりだった。思い出したくもない」と目を伏せ、悔しさをにじませた。別の女性(85)は「あの時の怖さは今でも思い出す」とショックを引きずる。隣接する芝生の広場では、グラウンドゴルフに興じる地元住民の姿も。このグループは一年前も同じ場所でプレーしていて地震に遭ったという。本間勝二さん(69)は「大変な生活の中で、グラウンドゴルフを通じて元気が出るようになった」と振り返った。 (上野実輝彦)
『避難所』で決意新た祈念式典 参加者ら黙とう復興祈念式典は輪島市門前町の門前会館で開かれた。平日でもあり、出席者はほとんどが市職員。出席した被災者は「若者も住みたいと思える地域にしたい」と復興への思いを新たにした。 会場は地震発生直後、避難所となった。被災者が生活していたホールには整然といすが並び、一年の経過を感じさせる。「活力あるまちづくりに全力で取り組む」。梶文秋市長の決意表明に始まった式典は、その後も来賓のあいさつが続いた。 地震発生時刻に、近くの総持寺祖院では雲水が復興を願う鐘をつき始めたが、風向きが逆で、会場までその音は届かない。窓の外で、市内全域に黙とうを呼び掛ける防災無線放送がかすかに聞こえた。出席者全員が立ち上がり、司会者の「黙とう」の声に合わせて犠牲者の冥福を祈った。約二十秒。来賓のあいさつが長引いたせいか、通常より短い“祈り”となった。 (高橋雅人)
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