トップ > 北陸中日新聞から > 能登半島地震特集 > 記事一覧 > 3月の記事一覧 > 記事
能登半島地震特集定点ルポ 被災地を歩く 能登半島地震1年(4) 志賀・笹波 消えゆく青い傷跡
小説の舞台ともなった「ヤセの断崖(だんがい)」から一キロほど南の日本海に突き出た玄徳(げんとく)岬。石川県志賀町笹波の集落を歩くと、岬一帯にうっそうと茂る森が目に入る。約千三百年の歴史を持つ藤懸神社社叢(そう)で、その一角にたたずむ神社拝殿は全壊したままだった。 拝殿跡は礎石だけが残り、奥の本殿も青いビニールシートで覆われ“傷跡”が生々しい。鳥居も折れたままで、右側の柱だけがぽつんと立つ。 藤懸神社を含めて周辺十一神社の宮司を務める平田篤さん(77)は、被災直後、拝殿の倒壊にわが目を疑ったという。打ちひしがれた心を奮い立たせるように、被災した氏子らの安否を確認し、神社の状況を見回った。 あれから一年。今も境内横の自宅兼社務所はビニールシートをかぶったままだ。一日も早く再建したい思いに駆られながら、集落内で最後まで手をつけられなかったのは、被災した住民感情に配慮したためだ。ようやく藤懸神社の拝殿再建に向けて、業者と修復の打ち合わせに入っている。 「地域や氏子の皆さんは一年間、大変な苦労をされ、精いっぱいだった。ようやく神社のことを相談できる状況になった。新年度こそ拝殿再建に本腰を入れたい」 半年前、集落のあちらこちらで見られたビニールシートは、ほとんどなくなった。住民も「もう落ち着いたよ」と、穏やかな口調で話す。 本堂と住宅が損壊した近くの長教寺も、ほぼ修復を終えた。大乗大城住職は「門徒の皆さんの協力で何とか元に戻った」とほっとした表情。しかし、地震の記憶は今も鮮烈だ。「枕元には必ず懐中電灯や水筒を置いて寝ている」と住職。大地震は、震源地に近い集落の人たちの防災意識を変えた。 (報道部・室木泰彦)
|