トップ > 北陸中日新聞から > 能登半島地震特集 > 記事一覧 > 3月の記事一覧 > 記事
能登半島地震特集定点ルポ 被災地を歩く 能登半島地震1年(3) 志賀・富来領家 仮設 見えぬ『明日』
石川県志賀町富来領家町を訪ねるたび、寂しくなる街並みに心が痛む。地震から一年。富来川に沿って建つ家々の人たちに、いまだ「明日」が見えてこない。見えずに焦る「今」があるだけだ。 三月半ば、また一軒、取り壊しが始まっていた。酒井幸夫さん(50)宅。 昨年六月、「河川改修のためのボーリングが終わるまで、家の改修は待ってほしい」と言われて待った。半年後に届いた答えは、「擁壁に個人で手を加えてあるので国の援助は受けられません」。 待てと言われたから待った。その間、打つべき手もあった。そんな理由ならなぜ、調査の前に言ってくれなかったのか。逆なでする行政の不手際は、酒井さんだけの怒りではないだろう。 六人暮らしの仮設住宅に、出産後の長女が帰省し、今は九人が三部屋に住む。狭い。幸夫さんに話を聞いたのは、私の車の中だった。 県から半額援助を受けられることが決まったのは一月。ただ、二カ月たった今も連絡はない。見積もりができない。家は家族会議で取り壊しを決めた。 「小さい家でも子どもたちが帰った時に寝られる部屋があればいい。年内には建てたい」と幸夫さん。孫の笑顔が支えだ。 新しく家を建てる人も喜び百パーセントではない。役場へ行って何枚も書類を書く。銀行へ何度も足を運び借金をする。「ストレスがピークです」と。 「ここ(仮設住宅)に置いてもらえるのはありがたいけど、心ばかり焦って…」「気付いたら一日、誰とも話をしない日があるんです」。年配女性の不安は尽きない。 「復興」をうたう陰で生活設計が描けない家族がある。光が強ければ影も濃い。「能登は元気です」。被災者の言葉なら心に届く。自治体から聞くと違和感がある。 (志賀通信部・小塚泉)
|