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能登半島地震特集能登半島地震 8カ月(1) 商店街わが手で復興能登半島地震から八カ月。被災地では仮設住宅を出て、再建した自宅に移る人も出始めた。しかし、地域社会が以前のように戻るには時間がかかる。石川県穴水町では、地震で駅前商店街が大きな打撃を受け、今でも開いている店はぽつりぽつり。そこでは、がれきの後片付けだけでなく、長期にわたって被災地を支援しようと、名古屋市の救援ボランティア団体が地元の人たちとともに活動していた。 穴水・商店主とNPO“二人三脚”名古屋の支援団体 熱く『本当の支援を』
「これからも足を運びます。元気に頑張りましょう」−。今月三日、穴水町役場で地元の商店主らでつくる会「復興サロン」が主催するシンポジウムがあった。パネルディスカッションの司会をした栗田暢之さんがその席でエールを送った。 栗田さんは名古屋市の特定非営利活動法人(NPO法人)「レスキューストックヤード」代表。共催に名を連ねた京都大防災研究所とともに、準備などに力を尽くした。 このNPOは、地震などの救援ボランティアに取り組んでいる。能登半島地震でも、三月の発生直後からGW明けまで、災害ボランティアセンターで運営を手伝った。 仮設住宅への入居が終わり、活動は一段落。引き上げを考えたが、「本当の支援をしたい」という思いが勝った。長期的な支援にはどう取り組むべきか、情報を集めた。 そのアンテナに引っかかったのが「復興サロン」。地元の商店主ら約三十人が立ち上げ、六月一日に会合を開いていた。協力しようと同月、春に職員になった松田曜子さん(29)を派遣した。 ◆ ◆
穴水駅前から約八百メートル続く商店街。能登半島地震では約七十軒のうち約半数が全半壊した。復興サロンのメンバーはここに店を構える人が中心だ。「今を逃せば頑張る機会はない」。その思いを共有しているという。 NPOと接したことがないメンバーは、松田さんを警戒した。「どこで利益を得ようとしているんだと聞かれました」と笑う。それでも、復興サロンの議論に協力することになった。 電車で三時間、レンタカーでさらに二時間かかる名古屋と穴水を、毎週通った。壁は交通費だった。調達が難しくなり、七月に住民に出費を頼んだ。「苦しい思いして、迷惑かけて。私、何で毎週来てるのかな」と会議後の飲み会でつぶやいたこともあった。 悩みを抱えながら「どうすれば誰もが話しやすくなるか」と考えた。議論に必要な材料集めや司会を買って出た。町関係者に住民が陳情する形にならないよう、会場を円卓にする工夫もした。 最初は不信感をみせた地元の人たちは「あんたらのおかげで、うまくいってるんや」と励ましてくれるようになった。議論の内容も充実し「住民だけでは脈絡なく話が進んでいたが、系統立てて議論ができた」と、信頼を得た。 松田さんは「私にとって穴水は第二のふるさと。能登にはすばらしい景色、人柄など、地元の人が気づいてない魅力がある」と感じている。 ◆ ◆ 川や街並みの整備、行政との関係…。穴水の商店街が以前から抱えていた問題が、地震でよりはっきりとした。中心メンバーの七海友也さん(43)は「どこから手をつけて良いか分からなかった」と、サロンの発足当初を振り返る。 しかし、議論が深まると話題は商店街の現状分析から未来像へと発展した。復興サロンで出た意見は、県の街並み整備計画にも盛り込まれた。 七海さんは「自分たちの考えが行政に影響を及ぼすと分かり、自信がついた」と話す。「役場が何とかしてくれる」から「自分たちがやる」へ住民の意識は変わった。
十一月三日のシンポジウム。復興サロン世話人会代表の加藤真さん(46)は「空き地や空き店舗をなくし、震災前より活気ある街に。川をきれいにし、ほとりでくつろげるようにする。商店主一人一人が観光案内を含めて、その商売分野のエキスパートになる」と十年後に目指す街の姿と行動計画を発表した。 そして、松田さんは「がれきを片付けた後のことも考えるボランティアが増えてほしい。これからも支えていきたい」と思いを新たにした。
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