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能登半島地震特集定点ルポ(4)被災地を歩く 『なぜ一部損壊』
志賀町笹波過疎の村嘆く住民 不満募る罹災証明「ただでさえ過疎が進んでいるのに、出て行く人が増えるんかねえ…」。こうした住民の嘆きを何度も聞いた。日本海に突き出た「ヤセの断崖」近くの志賀町笹波(旧富来町)。 棚田が残る農漁村だった。あの日、一瞬にしてのどかな風景は一変し、今も民家の窓ガラスは割れ、戸も外れたままの家が点在する。被災を機に取り壊したり、家族のもとへ移り住んだりする高齢者も多いという。 心の古里も大きく傷ついた。鎮守の森、藤懸神社の拝殿が全壊し、鳥居は片方が折れて転がる。十五年ほど前にも竜巻被害に遭ったという長教寺は、約百二十基あった墓が全壊し、修復を急ぐ重機の音が響き渡る。 「門前や輪島を思えばわがままは言えない。でも何で一部損壊なのか、もっと家の中を見てほしかった」と無職男性(73)。罹災(りさい)証明の「一部損壊」に納得できず、行政に異議を申し立てた人もいる。 記者の父方の実家(旧富来町)も一部損壊の被害を受けた。外観以上に家の中へ入ると被害の大きさを感じる。まして年金収入だけの高齢者は多い。「どうして半壊じゃないんだ」との思いは痛いほど分かる。 蔵が全壊した女性(59)の父親は入院中で、地震で変わり果てた建物をまだ見ていない。「父から預かった大事な家。報告できなくてね」と目を潤ませた。それでも、「私ら住む所があるんだから」と気を取り直した。 (報道部・室木泰彦)
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