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能登半島地震特集定点ルポ(3)被災地を歩く 『一等地今は昔』
川沿い家屋軒並み『危険』 手作業で亀裂に砂志賀町富来領家町石川県志賀町富来領家町の商店街を歩いた。いつも車で通る道。パン屋さんに衣料品店、美容院…。富来川に沿って建つ家々は、倒れてこそいないが、傾き、亀裂が走る。「危険」を示す赤い紙が続く。 八十七歳の女性宅を訪ねた。一人暮らし。声から間があってガラス戸が開いた。足をさすりながら、「地震の後もずっと一人おったがです」と。「町の温泉に行く。それが楽しみや」。足を伸ばし友と語る。週一回のささやかな喜びに支えられる日々なのだと知る。 大田博さん(64)は納屋の亀裂を埋めるため砂を運んでいた。一輪車を押し、行ったり来たり。日が傾くまで。妻真優美さん(57)と二人で型枠大工の仕事をしているが、地震の後は行っていない。行けない。 目の前を川が流れる。真優美さんが言う。「夏涼しいし一等地と思っていた。今じゃ三等地、四等地や」。でも、と続ける。「ここが一番。他には住みたくないね」 同じく川沿いの高橋政雄さん(68)方。船員生活で国内外の町を見てきたが、「こんなにいいところはない」。崩れた場所に、地元の人たちに砂を入れてもらった。「助かりました。ゼロからやり直しやね」。大好きな庭に立ち、前を向ける今、少しだけ笑みが戻った。 記者のメモ帳に書きつけた言葉を拾ってみる。 負けておられん。命ある限り頑張る。同じ場所に小さな家を建てて住みたい…。 生活は今なお、不安定な川土手の上にある。仮設住宅と行き来する人もいる。護岸工事を早く−。ここに住む人たちの共通する思いだ。 (志賀通信部・小塚泉)
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