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能登半島地震特集被災2度目 分かる痛み 「阪神」経験女性、「国は補償を」
「斜めになった家々を見たら12年前の情景がまざまざと目に浮かんだ」。能登半島地震で家屋倒壊の被害が激しい石川県輪島市門前町道下の民家で、屋根瓦の片づけをしていた山崎朋子さん(60)=兵庫県西宮市=は、1995年1月の阪神大震災で自宅が全壊し避難生活を送った経験を持つ。今回は空き家になっていた夫正二さん(58)の実家が被害に。朋子さんは「被災した人にしか痛みは分からない。国は支援をしっかりしてほしい」と訴える。 (報道部・高橋雅人) 山崎さん夫妻は地震があった25日午前、正二さんの単身赴任先の名古屋市にいた。朋子さんはテレビで、夫の実家がある門前町の被害が大きいことを知った。夫妻は26日に車で現地入り。母屋は無事だったが、納屋と土蔵は崩れかかっていた。「家の中も思ったほど被害はなかった。火事も起こってないし、亡くなった人も少ない。阪神大震災の時と比べものにならない。震度6強と7とではやっぱり違いは大きい」と朋子さん。 12年前は自宅が全壊したが、正二さんは出張のため留守。朋子さんも幸いけがはなかった。だが、その日の夕方に会う約束をしていた友人を含め、多くの知り合いを震災で失った。「しばらくショックで何もできなかった」と振り返る。 2度目の被災について朋子さんは「宝くじなら何度でも当たりたいけど。悲劇よりも喜劇だわ」と自嘲(じちょう)気味に話す。だが、2度目だからこそ言えることもある。夫妻は、阪神大震災の後2、300万の見舞金を受け取ったが、“焼け石に水の状態”だった経験がある。「心配なのは補償。税金を無駄遣いするなら、こういうときのためにプールしておいてほしい」と強調する。 そして朋子さんは最後にこう言った。「西宮は復興した。ここはお年寄りが多いので避難所生活で病気などにならないか心配だけど、頑張ってもらいたい」
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